づいて来るのだった。その中には関白殿の御子息の兵衛佐《ひょうえのすけ》などもお見えになっている。先ず、道綱をお呼び出しになって「これまで大へん御無沙汰申していたお詑《わ》びかたがた、こうやって参りました」と私の方へ取り次がせて置いて、そのまま物静かに木の陰にお立ちになって居られるその兵衛佐の御様子は、何とも言えず奥床しく、京ちかく覚えられる位であった。
「大へんお懐しいことです、どうぞこちらへおはいりなさいますように」と私はすぐお通し申させた。すると兵衛佐は勾欄《こうらん》にもたれて手水などされてから、こちらへおはいりになって入らしった。いろいろの物語のついでに「昔わたくしとお会いしたのを覚えていらっしゃいますか」と私がなつかしそうに訊《き》くと「どうして忘れなどいたすものですか、確かに覚えて居りますとも。今こそこう心ならずも疎遠にいたして居りますが――」などとお答えなされて、それからそれへとその昔の頃の事を一しょになって思い出しながら、さまざまな物語を続けていた。が、そのうちに私がふいと物を言いかけて、何だか急に声が変になりそうな気がしたので、そのまま少しためらっていると、相手にもそれがおわかりになったものと見える。すぐには物も仰《おっし》ゃられずにいたが、やっと兵衛佐は口を開かれて「お声までがそうお変りなされるのも尤《もっと》もの事とは思いますが、もうそんな事はお考えなさいますな。このまま殿がお絶えなされるなんという事があるものですか。どうしてそう御ひがみなされるのか、私共にはわかりませぬ。殿もこちらへ参ったらようく言って聞かせてやって呉れなどと仰せられていました」と私を慰めるように言われる。「何もあなた様にまでそう云う御心配をしていただかなくとも、いずれそのうち此処からは出るつもりなのですけれど――」と私がいつになくつい気弱な返事をすると、「それなら同じ事ですから、今日お出になりませんか。私共もこのまま御供いたしましょう。何よりもまあ、この大夫がときどき京へ出られては、日さえ傾けばまた山へお帰りを急がれるのを、はたで見ていましても本当にお気の毒なようで――」などと道綱の事まで持ち出して切に口説かれるけれど、私はもう何か他の事でもじっと思いつめ出したように、返事もろくろくしないようになった。そのうちに兵衛佐もとうとうお諦めになったように、しばらくまた他の物語など
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