したが――」と、途中の山路で夕立に逢った有様を恐ろしそうに話した。
こんどはあの方の御文を托《たく》せられて来た。「若《も》したまたま山を出られる日があったら前もって知らせてくれ。迎えに往こう。何だかもうそちらで私の事なんぞはすっかりお見棄てらしいから、こちらから近寄るのはすこし怖い」などとある。私はそれを貧《むさぼ》るように読んでしまうと、すぐ何でもないようにそれをそのまま打棄てて置いた。
それから二三日後、道綱が「どうか先日の御返事を下さいませんか。又お叱りを受けるかも知れませんから、早く持参したいと思います」としきりにせびるのだった。私はもうあの方にそんな返事など上げる気もちにはなれそうもなかったので、何のかのと言《い》い紛《まぎ》らしていたが、しまいには道綱が可哀そうになって、何を書いたのやら自分でも思い出せないような事ばかりを書いて持たせてやった。
すると、又、この間と丁度同じような時刻になると、突然夕立が来た。そうしてこの前よりももっとはげしいかと思えるような雷が鳴り出した。しかし今度は私は、簾《みす》も下ろさずに、横なぐりの雨に打たれながら木々が苦しみもだえるような身ぶりをしているのを、ときどき顔をもたげては、こわごわじっと見入っていた。そうして私は、もし自分が本当に苦しむことを好んでいるのだったら、こんなに何もこわがりはしないだろうにと思いかえしながら、だんだん長いことそれを見つめ出していた。ときおりそんな自分の目のあたりを、その稲光りとともに、何処かの山路で怯《おび》えている道綱の蒼ざめ切った顔が一瞬間|閃《ひらめ》いて過《よ》ぎったりするのだった。……
が、そのうちに、私はそれにもめげずに、じっと空中に目を注いだなり、いつか知《し》らず識《し》らずの裡《うち》に自分自身をその稲光りがさっと浴びせるがままに任せ出していた。恰《あたか》もそうやって我慢をしている事だけが自分のもう唯一の生き甲斐ででもあるかのように。……
その六
或日の昼頃、突然、大門の方で馬が気もちのいいくらい高く嘶《いなな》いた。それがどういうわけか、私のうちに言うに言われないような人なつかしさを蘇《よみがえ》らせた。……それからやがて人のおおぜい来たらしい気配がしだした。簾を透かして見ていると、立派な装束をした人々も数人見え、それが木の間をこちらへだんだん近
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