たがなしにその御文を受取ってしまってから、はじめてそれが柏木様からのものである事を知ったのだった。が、見れば、御料紙なんぞもこういう折のにかなったものではなかったし、大層御立派だとお聞きしていた御手跡もこれはあの方のではないのではあるまいかと思われる程のものだったし、どうもすべてが疑わしいので、御返事はどうしたものだろうかと迷っていると、昔気質《むかしかたぎ》の父はしきりに恐縮がって、「やはりお出しなさい」と私に無理やりにそれを書かせた。それをきっかけにして、それからもあの方は屡《しばしば》私に同じような御文をおよこしになったけれど、最初のうちは私の方ではそれほど熱心になれず、返事も出したり、出さなかったりしていた位だった。
そう云ったごく通り一遍な消息をやりとりしているうちに、その夏も過ぎて、秋近くなった頃、どうした事からだったろうか、とうとう私はあの方をお通《かよ》わせするようになった。そうしてその頃はといえば、あの方は何を措《お》かれても、殆ど毎夜のように私の許《もと》にお通いになって入らしったが、そのうちにやがて十月になった。
その月半ば、私の父は陸奥守《むつのかみ》に任ぜられて奥州へ御下りにならねばならなかった。――それはまだ、私があんまりあの方にもお馴れしても居らず、お会いしている時だって、ただもうさしぐんでいるばかりだったのを、反ってあの方はいとしがられ、一生お前の事は忘れまいなどと御誓いなすったりせられはしたものの、果して人の心なんぞは頼みになれるものやら、なんとも言えず不安で、自分の悲しい行末ばかりが思われてならないような日頃であった。――ところで、いよいよ父たちが出立すべき日になった。みんなが別れを惜しんでいる間に、父はふいと私のもとに入らしって、御形見の硯《すずり》に何かお文のようなものを押し巻いて入れて、それからまた黙って出て往かれたようだったが、私はそれをすら見ようともせずにいた。とうとう皆が出立した跡になって、私は少しためらいながら、それにいざり寄って、何だろうと開けて見ると、「君をのみたのむ旅なる心には行末とほく思ほゆるかな」と認《したた》められてあった。見るべき人が見るようにと書き残されたのだろうと思って、私は、それをそのまま元のように収めて置いた。それからしばらくして、あの方がお出《いで》になったけれど、目も見合わさずに、私が
前へ
次へ
全33ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
堀 辰雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング