かげろうの日記
堀辰雄
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)尤《もっと》も
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)一向|無頓著《むとんじゃく》
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(例)※[#「さんずい+甘」、第3水準1−86−60]
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なほ物はかなきを思へば、あるかなきかの心地する
かげろふの日記といふべし。
蜻蛉日記
その一
半生も既に過ぎてしまって、もはやこの世に何んのなす事もなく生きながらえている自分だが、――一たい顔かたちだって人並でないし、これと云った才能もあるわけではないのだから、こんな風にはかない暮しをしているのも尤《もっと》もの事だとは思うものの、只こうやってぼんやりと明し暮しているがままに、世の中に多い物語などをおりおり取り上げて、その端《はし》などを読んで見ると、ずいぶん有り触れた空言《そらごと》さえ書いてあるようだから、自分の並々ならぬ身の上を日記につけて見たら、そんなものよりも反って珍らしがってくれる人もあるかも知れない。それにまた、世間の人々が、私のようにこんなに不為合《ふしあわ》せになったのは、あまりにも女として思い上っていたためであろうかどうか、その例《ためし》にもするが好いと思うのだ。
何分にももうすべて一昔も前の事なので、さて、何から書き出したら好いのだろうか知ら。まあ、それ以前の取るに足らない程の、好《す》き事《ごと》なんぞは、それはそれとして、――今からもう十何年か前の、そう、たしか夏の初めだったと思う、その頃はまだ柏木《かしわぎ》と呼ばれていたあの方が始めて私に御文をよこされたのである。その最初の時からして、あの方と云ったら外のお方とは変ったなされ方で、普通だったら下《しも》じもの女にでもその御文を届けさせようものを、あの方は役所で私の父に先ず真面目とも常談ともつかずに仄《ほの》めかされて置いて、こちらでそれをどう思おうなんぞという事には少しもお構いなさらずに、或日、馬に乗った男に御文を持って来させられた。その使いの者がまた使いの者で、「どなた様から」と訊《き》かせることも出来ない程、はしゃぎ切っていたので、こちらの方ではしか
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