何処まで彼女自身であって、いま若くあることも、又いつか年老いることも勝手であるところの、一人の自由な女性を受け入れることであると考えるようになって来た。」と書いているのを読みました。なんだかその言葉がそっくり今の私にあてはまるように思われますので、一寸《ちょっと》此処に書いてみる気になりました。同じ作家の「祝婚歌《エビタラアム》」という小説の翻訳がこんど出ましたが、結婚生活によってはじめて人間が鍛えられてゆくという作者特有の思想の下《もと》に書かれた大へん立派な小説ですゆえ、いつかお読みになって御覧になりませんか。
けさの新聞で、窪川君の御本が出来上ったことを知りました。昔からの友人の一人として、本当に心からおよろこびを申したく思います。どうぞよろしくお伝え下さい。
中野君からはこの夏のまえに一度お便りをいただきました。赤ちゃんがお弱いようで、蔭ながら心配しておりましたが、たいへん御丈夫にお育ちのようで本当によかったと思います。数年前信州富士見で私が「風立ちぬ」に描いたような人生を生地で暮していた頃、同じように療養に来られていた妻君のところに見舞に来られた中野君と屡々《しばしば》会って、一しょに近所の森の中を散歩したことなど、いまだになんともいえず懐かしい思い出になっています。ついぞそれきり会いませんが、この頃中野君たちも元気のようで大へんよろこんでいます。こんど窪川君の御本の出たお祝いを兼ねて、室生さんをお誘いして、昔の仲間だけで集まるようなささやかな会をこの年の暮にでもひとつしようではありませんか。西沢君や宮本君なんぞがなんだかすぐ其処《そこ》にいるようで、やっぱりいなくって淋しいですけれど。……
底本:「堀辰雄集 新潮日本文学16」新潮社
1969(昭和44)年11月12日発行
1992(平成4)年5月20日16刷
※底本の「始め二重山括弧」と「終わり二重山括弧」は、ルビ記号と重複するため、それぞれ「〈」と「〉」に置き換えました。
入力:横尾、近藤
校正:松永正敏
2003年12月12日作成
青空文庫作成ファイル:
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