のである。
すなわち、まず第一に私は、神が私をかつて欺くことはあり得ないということを認知する。なぜならすべての瞞着あるいは詐欺のうちには何らかの不完全性が見いだされるから。そしてたとい欺き得るということは聡明あるいは力のある証拠と見え得るにしても、欺くことを欲するということは疑いもなく悪意かそれとも薄弱かを証するのであって、従ってまた神にふさわしくないのである。
次に私は私のうちに或る判断能力のあることを経験するが、私はこれを確かに、私のうちにある余のすべてのものと同じく、神から受け取ったのである。そして神は私を欺くことを欲しないからして、神はもちろんこの能力を、私がこれを正しく使用するときにも過ち得るようなものとして私に与えなかったはずである。
このことについては、もしそこから、だからして私は決して過ち得ないことが帰結するように思われたのでなければ、何らの疑いも残らなかったであろう。というのは、もし私のうちにあるどのようなものでも私はこれを神から得るとすれば、そしてもし神は私に過つ能力を何ら与えなかったとすれば、私はかつて過ち得るようには思われないから。そしてかようにして実際、私がただ神についてのみ思惟し、私を全く神に向けている間は、私は誤謬または虚偽の何らの原因をも発見しないのである。しかしながら、すぐ後で、再び自分に還ってくると、私はそれにもかかわらず私が無数の誤謬にさらされていることを経験し、その原因を探究すると、私は単に神の、すなわちこの上なく完全な実有の、実在的で積極的な観念のみではなく、またいわば無の、すなわちあらゆる完全性からこの上なく離れているものの、或る消極的な観念が現われること、そして私があたかも神と無との間の、すなわち最高の実有と非有との間の中間者をなしており、かようにして、最高の実有から創造せられた限りにおいては、私のうちにはもちろん欺きまたは誤謬に誘うものは何も存しないが、しかし或る仕方でまた無に、すなわち非有に与る限りにおいては、言い換えると、自分が最高の実有でなく、そしてきわめて多くのものが私に欠けている限りにおいては、私が過ったのは不思議でないことに、私は気づくのである。そしてかようにして私は確かに、誤謬は、それが誤謬である限りにおいては、神に依存するところの或る実在的なものではなく、ただ単に欠陥であるということ、従ってまた私
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