同時にまたここから引き出され得る他のもろもろの真理の中へ尋ね入るに先立ち、私はここでしばらく神そのものの観想のうちに停まり、その属性を静かに考量し、そしてその無辺なる光明の美をば、これにいわば眩惑せられた私の智能の眼の耐え得る限り多く、凝視し、讃嘆し、崇敬しすることが適当であると思う。なぜなら、ただこの神的荘厳の観想にのみ他界の生活のこの上ない浄福の存することを我々は信仰によって信じているのであるが、そのようにまた今我々は、かかる観想によって、もとよりそれは遥かに少く完全なものであるとはいえ、この世の生活に置いて許された最大の満足を享受しうることを経験するからである。
[#改丁]
省察四
真と偽とについて。
私はこの数日、私の精神を感覚から引き離すことにかくも慣れてきたし、また私は、物体的なものについてほんとうに知覚せられるものがきわめてわずかであり、人間の精神についてはしかし遥かに多くのものが、神についてはさらに遥かに多くのものが認識せられることをかくも注意深く観察したので、今や私は何らの困難もなしに思惟をば想像せられるべきものから転じて、ただ悟性によってのみ捉えらるべきもの、そして一切の物質から分離せられたものに向わせうるであろう。まことに私は人間の精神について、それが思惟するものであり、長さ広さ及び深さにおける延長を有せず、そして物体に属するところの何物をも有せざるものである限りにおいて、いかなる物体的なものの観念よりも遥かに多くの判明な観念を有している。そして私が疑うということ、すなわち不完全で依存的なものであるということに注意するとき、独立な完全な実有の、言い換えると神の、かくも明晰で判明な観念が私に現われ、そしてかくのごとき観念が私のうちにあるということ、すなわち私、かかる観念を有する私が存在するということ、この一つのことから私は、神がまた存在するということ、そしてこの神に私の全存在があらゆる箇々の瞬間において依存するということをかくも明瞭に結論するのであって、かようにして私は人間の智能によって何物もこれ以上明証的に、何物もこれ以上確実に認識せられ得ないと確信することができる。そしていま私は、真の神の、すなわち知識と智慧とのすべての宝を秘蔵する神の、かかる観想から、余のものの認識にまで達せられるところの、或る道を認めるように思われる
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