かったであろうし、またおよそ何物かが私に欠けているということがなかったであろう。なぜなら、その何らかの観念が私のうちにある一切の完全性を、私は私自身に与えたであろうし、かようにして私自身は神であったであろうから。また私に欠けているものはたぶん、すでに私のうちにあるものよりも、得られるにいっそう困難であるかもしれないと考えてはならぬ。なぜなら、反対に、私、言い換えると思惟するもの、すなわち思惟する実体を無から生み出すことは、単にこの実体の偶有性であるところの、私の知らないところの多くのものの知識を得ることよりも、遥かにいっそう困難であったということは明瞭であるから。そして確かに、もし私がかのいっそう大きなもの、すなわち思惟する実体を生み出すという完全性を自分によって持ったとすれば、私は少くともかのいっそう容易に持たれ得るもの、すなわちこの実体の偶有性であるところの多くのものの知識を自分に拒まなかったであろう。のみならず私は神の観念のうちに含まれると私の知覚するものの他のいかなるものをも自分に拒まなかったであろう。なぜなら、たしかに、そのいかなるものも作り出されるにいっそう困難ではないと私には思われるから。そしてもし何らかのものが作り出されるにいっそう困難であったとすれば、実に私が持つあらゆる他のものは自分によって持ったのであるからして、私はかかるものにおいて私の力が制限せられるのを経験したであろうゆえに、確かにかかるものはまた私にいっそう困難と思われたであろう。
なおまた、おそらく私はいま存するごとくつねに存したと仮定するにしても、あたかもこの仮定から私の存在のいかなる作者も追求せらるべきではないということが帰結したかのように称して、これらの論拠の力を逃れることは私にはできない。なぜなら、私の生涯の全時間は、そのいずれの箇々の部分も余の部分にまったく依繋しないところの無数の部分に分かたれ得るゆえに、私が少し前に存したということから私がいま存しなくてはならぬということは、この瞬間に或る原因がいわばもう一度私を創造する、言い換えると私を保存する、のでない限りは、帰結しないからである。すなわち、時間の本性に注意する者にとっては、何らかのものがその持続する箇々の瞬間において保存せられるためには、そのものが未だ存在しなかったとした場合、それを新たに創造するために必要であったの
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