うか。
また、おそらくこの神の観念は、熱や寒の観念、およびこれに類するものの観念について少し前に私が気づいたのと同じく、質料的に偽であり、従ってまた無から出てくることができる、と言うことはできない。なぜなら、反対に、この観念は極めて明瞭で判明であり、そして他のいかなる観念よりも多くの客観的実在性を含んでいるからして、この観念よりも多くそれ自身によって真なるもの、偽でないかとの疑いを容れることがいっそう少ないもの、は存しないからである。私は言う、この最も完全にして無限なる実有の観念はこの上なく真であるのである、と。というのは、たといおそらくかくのごとき実有は存在しないと仮想することができるにしても、この実有の観念が、先に寒の観念について言ったごとく、何ら実在的なものを私に示さないと仮想することはできないから。この観念はまたこの上なく明晰で判明であるのである。なぜなら、何であれ私が実在的にして真なるものとして、また何らかの完全性をもたらすものとして明晰に判明に知覚するものは、全部この観念のうちに含まれているから。またこの場合、私が無限なるものを把握しないということ、あるいは神のうちには私の把握することのできぬ、またおそらく思惟によっては何らか触れることさえできぬ、他の無数のものが存するといことは、妨げとはならない。というのは、有限であるところの私によって把握せられないということは、無限なるものの本質に属するものであるから。そして私がまさにこのことを理解することで、そして私の明晰に知覚し、何らかの完全性をもたらすものとして知る一切のものが、なおおそらくまた私の知らない他の無数のものが、形相的にか優越的にか神のうちに存すると判断することで、私が神について有する観念が私のうちにあるすべての観念のうち最も真で、また最も明晰で判明であるためには、十分なのである。
しかしおそらく私は自分で理解しているより以上の或るものであるかもしれない、しかして私が神に帰するところの一切の完全性は、たとい私においては未だ自己を顕現せず、また現実性にもたらされないにしても、何らか可能的には私のうちにあるかもしれない。というのは、私は実際に私の知識が漸次に増大せられることを経験し、そしてそれがかようにして無限にまでますます増大せられないように何が妨げるのか、また何故に、この知識がかように増大せられ
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