原因であり得ぬことが私に確実であるほど、大きいものであるならば、そこから必然的に、私のみが独り世界にあるのではなく、かかる観念の原因であるところの或る他のものがまた存在するということが帰結するということである。他方もし何らかくのごとき観念が私のうちに見出されないならば、私とは別の或るものの存在を私に確実ならしめるところのいかなる論拠もまったく私は有しないであろう。というのは、私は一切を極めて注意深く調査して、これまで何らの論拠も見出し得なかったからである。
 ところで私の有する観念には、ここに何ら困難のあり得ないところの、かの私自身を私に示す観念のほか、他に、神を表現するもの、また物体的な無生的なものを表現するもの、また天使を表現するもの、また動物を表現するもの、そして最後に私と同類の他の人間を表現するものがある。
 そして他の人間を、あるいは動物を、あるいは天使を示すところの観念についていえば、たとい私のほか何らの人間も、何らの動物も、何らの天使も世界に存しないにしても、これらの観念が、私自身について、物体的なものについて、また神について私の有する観念から構成せられ得るということを、私は容易に理解するのである。
 そして物体的なものの観念についていえば、これらのうちには私自身によって生まれ得たとは思われないほど実在性の大きいものは何も見られない。もし私がこれらをいっそう深く観察するならば、また昨日私が蜜蝋の観念を吟味したのと同じ仕方で、その一つ一つを吟味するならば、これらにおいて私が明晰に判明に知覚するものはただ極めてわずかであることに気づくのである。言うまでもなく、それは、大きさ、すなわち長さ、広さ及び深さにおける延長、かかる延長の限定によって生ずる形体、種々の形体を具えたものの相互に占める位置、及び運動、すなわちかかる位置の変化であって、これになお実体、持続及び数を加えることができる。しかるにその他のもの、例えば光と色、音、香、味、熱と寒、また他の触覚的性質は、ただ極めて不分明に不明瞭にのみ私によって思惟せられるのであり、従って私は、それらが真であるのか、それとも偽であるのか、言い換えると、それらについて私の有する観念が或るものの観念であるのか、それとも何ものでもないものの観念であるのか、をさえ知らないのである。というのは、たとい私は少し前に、本来の意味におけ
前へ 次へ
全86ページ中35ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
デカルト ルネ の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング