るに或る観念が、他の客観的実在性ではなくて或る特定の客観的実在性を含むということは、たしかに、この観念が客観的実在性について含むのと少くとも同じだけの形相的実在性を自己のうちに有するところの或る原因によって、これを得てくるのでなくてはならぬ。なぜなら、もし我々がその原因のうちに存しなかった或るものが観念のうちに見出されると看做すならば、この観念は従ってこれを無から得てくることになり、しかるに、ものがそれによって観念を介して悟性のうちに客観的に有るところのこの存在の仕方は、たとい不完全であるとしても、たしかにまったく無ではなく、また従ってこの観念が無から出てくるということはあり得ないからである。
 なおまた、私が私の有する観念のうちにおいて考察するところの実在性は単に客観的なものであるからして、この実在性がこの観念の原因のうちに形相的に有ることは必要でなく、かえってこの原因のうちにおいても客観的に有れば十分であろう、と忖度《そんたく》してはならない。というのは、この客観的な存在の仕方が観念に、観念そのものの本性上、合致すると同じように、形相的な存在の仕方が観念の原因に、――少くともその第一にして主要なる原因には――この原因の本性上、合致するからである。そしてたといおそらく一の観念は他の観念から生まれることができるにしても、これはしかしこのようにして無限に溯ることができないのであって、遂にはいわば或る第一の観念に達しなくてはならず、しかしてこの観念の原因は、観念のうちにおいてはただ客観的に有る一切の実在性を形相的に自己のうちに含むところの、原型ともいうべきものなのである。かようにして観念は私のうちにおいてあたかも或る影像のごときものであって、これは、たしかに、これを得てきたもとのものの完全性に及ばぬことは容易にあり得るが、或るより大きなものまたはより完全なものを含み得ないことは、自然的な光によって私に明瞭である。
 そしてこのすべてのことは、これを考量することが長ければ長いだけ、注意深ければ注意深いだけ、いよいよ明晰に、いよいよ判明に、その真であることを私は認識するのである。しかし私は何を結局これから結論しようとするのであるか。言うまでもなく、もし私の有する観念のうちの或るものの客観的実在性にして、それが形相的にも優越的にも私のうちに存せず、また従って私自身がこの観念の
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