の感覚に現われるのと同じ大きさや形体のものであるとすること、その他この種のことが、それである。しかるに、これらのことがらにおいて私が十分に判明に知覚しない何ものもないようにするためには、私が或ることを自然によって教えられると言うとき、何を本来意味するかをいっそう厳密に定義しなくてはならぬ。すなわち私はここに自然をば、神によって私に賦与せられたすべてのものの集合体という意味よりもいっそう狭い意味に解する。というのは、この集合体のうちにはただ精神のみに属する多くのもの、例えば、為されたことは為されなかったことであることができぬと私が知覚すること、及びその他、自然的な光によって知られているすべてのものが、含まれるが、これらについてはここでは言及しないし、またそのうちにはさらに、ただ物体のみに関する多くのもの、例えば、物体は下に向うということ、及びこれに類すること、が含まれるが、これらについてもまたここでは問題でなく、かえってただ、精神と身体とからの合成体としての私に、神によって賦与せられたもののみが問題なのであるからである。従ってまた、この自然はたしかに、苦痛の感覚をもたらすものを避け逃れ、そして快楽の感覚をもたらすものを追い求むること、及びかかる性質のことを教えるが、しかしこの自然がその上になお、これらの感覚の知覚から、悟性のあらかじめの考査なしに、我々の外に横たわるものについて何かを結論することを我々に教えるということは明かではないのである、なぜなら、かかるものについて真を知るということはただ精神のみに属し、合成体には属しないように思われるから。かようにして、たとい星は私の眼を小さい松明の火よりもいっそう多くは刺戟しないにしても、かかる合成体としての私のうちにはしかし星がこの火よりも大きくないと信ぜしめる何らの実在的なあるいは積極的な傾向性も存せず、かえって私は根拠なしに若い時分からこのように判断したのである。また、たとい火に近づくと私は熱を感覚し、そして余りに近くそれに近づくと私は苦痛を感覚しさえするにしても、実際、火のうちにはこの熱に類似する或るものがあると、またこの苦痛に類似する或るものがあると、私に説得する何らの根拠も存せず、かえってただ、火のうちには我々においてこれらの熱あるいは苦痛の感覚を喚び起す或るもの――それが結局どのようなものであろうとも――があると
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