かくてこれと或る一体を成していることを教えるのである。というのは、もしそうでないとすれば、身体が傷つけられるとき、私すなわち思惟するもの以外の何物でもない私は、そのために苦痛を感じないはずであり、かえってあたかも水夫が船のなかで何かが毀れるならば視覚によってこれを知覚するごとく、私はこの負傷を純粋な悟性によって知覚するはずであり、また身体が食物あるいは飲料を必要とするとき、私は単純にこのことを明白に理解し、飢えや渇きの不分明な感覚を有しないはずであるからである。なぜなら確かに、これら渇き、飢え、苦痛、等々の感覚は、精神と身体との結合と、いわば混合とから生じた或る不分明な思惟の仕方にほかならないから。
 さらにまた私は自然によって、私の身体のまわりに、その或るものは私にとって追い求むべきものであり、或るものは避け逃るべきものであるところの、他の種々異なる物体が存在することを教えられる。そして確かに、私が極めて異なる色、音、香、味、熱、堅さ、及びこれに類するものを感覚するということから、私は、これら種々に異なる感覚の知覚がそこからやってくる物体のうちに、これらの知覚にたといおそらく類似していないにしても対応している或る異種性が存する、と正当に結論するのである。なおまた、かかる知覚のうち或るものは私にとって快適であり、或るものは不快であるということから、私の身体が、あるいはむしろ、私が身体と精神とから成っている限りにおいて、全体としての私が、そのまわりを取り繞っている物体によって、あるいは都合好く、あるいは都合悪く、種々異なる仕方で影響せられ得るということは、まったく確かである。
 しかしながら、自然が私に教えたもののように見えても、実際は自然からではなく、かえって無思慮に判断する或る習慣から私が受取った他の多くのものがある、従って容易にこれらのものは偽であることが生じ得る。すなわち、その中には私の感覚に影響を与える何ものもまったく現われない一切の空間は真空であるとすること、また、例えば、熱い物体のうちには私のうちにある熱の観念にまったく類似する或るものがあり、白い物体または緑の物体のうちには私の感覚するのと同じ白または緑があり、苦い物体または甘い物体のうちにはこれと同じ味があり、その他の場合にも同様のことがあるとすること、また、星や塔、その他何でも遠く離れた物体は単に私
前へ 次へ
全86ページ中69ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
デカルト ルネ の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング