いて、数について、運動について、及びこれに類するものについて、無数の特殊的なものを知覚するのであって、その真理は極めて明瞭であり、また極めて私の本性に適合しているので、それを私が初めて発見するとき、或る新しいことを学ぶというよりはむしろすでに私が知っていたことを想起するかのごとくに思われる、言い換えると、夙《つと》に確かに私のうちに存したが以前にはそれに精神の眼を向わせなかったところのものに、私が初めて注意するかのごとくに思われるのである。
 そしてここに最も注目すべきことと私の考えるのは、たとい私の外にたぶんどこにも存在しないにしても、無であるとは言われ得ない或るものの無数の観念をば私が私のところで発見するということである。かかるものは、たとい私によって或る意味で随意に思惟せられるとはいえ、私によって構像せられるのではなく、かえって自己の真にして不変なる本性を有しているのである。かくて、例えば、私が三角形を想像するとき、たぶんかような形体は私の思惟の外に世界のうちどこにも存在せず、またかつて存在しなかったにしても、それには確かにそれの或る限定せられた本性、すなわち本質、すなわち形相があるのであって、これは不変にして永遠であり、私によって構像せられたものではなく、また私の精神に依存するものでもない。このことは、この三角形について種々の固有性が、すなわち、その三つの角は二直角に等しいということ、その最も大きな角に最も大きな辺が対するということ、及びこれに類することが、論証せられ得ることから明かである。これらの固有性は、たとい以前に私が三角形を想像したときには決して思惟しなかったにしても、今は欲するにせよ欲しないにせよ私の明晰に認知するところであり、従って私によって構像せられたものではない。
 なおまた、私はもちろん三角形の形体を有する物体をときどき見たのであるからして、この三角形の観念はおそらく外のものから感覚器官を介して私にやって来たのであろうと言っても、ことがらには関係がないのである。なぜなら私は、いつか感覚を介して私のうちに忍び込んだのではないかという疑いの何らあり得ないところの他の無数の形体を考え出すことができ、しかもこれについて、三角形についての場合にも劣らず、種々の固有性を論証することができるから。これらの固有性はすべて、実に私によって明晰に認識せられるか
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