のものにのみ及ぶように、制限するたびごとに、私が過つということはまったく生じ得ないからである。すべて明晰で判明な知覚は疑いもなく或るものであり、従って無から出てきたものであり得ず、かえって必然的に神を、私はいう、かの最も完全な、欺瞞者であることと相容れないところの神を、作者として有している、それゆえにかかる知覚は疑いもなく真である。また今日私は単に、決して過たないためには私は何を避くべきであるかを学んだのみでなく、同時にまた真理に達するためには何を為すべきであるかも学んだ。すなわち、もし私がただ私の完全に理解するすべてのものに十分に注意し、そしてこれを私のいっそう不分明にいっそう不明瞭に把捉する余のものから分離するならば、私は確かに真理に達するはずである。かくすることに私はこれからは注意深く努力しよう。
[#改丁]
省察五
物質的なものの本質について。そして再び
神について、神は存在するということ。
神の属性について、私自身のすなわち私の精神の本性について、私の探究すべき多くのことがなお残っている。しかしこれはおそらく他の機会に再び取り上げられるであろう。今は(真理に達するためには私は何を避くべきでありまた何を為すべきであるかに気づいた後)、過ぐる数日私の陥っていた懐疑から抜け出すことに努めるということ、そして物質的なものについて何か確実なものを得ることができるかどうかを見るということ、よりも緊要なことはないと思われる。
しかも、何かかかる物質的なものが私の外に存在するかどうかを調べるに先立って、私はこのものの観念をば、それが私の思惟のうちにある限りにおいて、考察し、そしていったいそのうちのどれが判明であり、どれが不分明であるかを見なくてはならない。
言うまでもなく私は量を判明に想像する、これを哲学者たちは普通に連続的なものと称している、すなわちこの量の、あるいはむしろ定量を有するものの、長さ、広さ及び深さにおける延長を判明に想像する。このうちにおいて私は種々の部分を数える、これらの部分に私は各種の大きさ、形体、位置、及び場所の運動を属せしめ、またこれらの運動に各種の特徴を属せしめる。
また、単にこれらのものが、かように一般的に観られた場合、私にまったく知られていて分明であるのみではなく、さらにまた私は、注意するならば、形体につ
前へ
次へ
全86ページ中53ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
デカルト ルネ の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング