な認識を有するものであることはもとのごとくであるにしても、私が決して過たないようにするということは、神によって容易になされ得たと思う。すなわち、もし神が私の悟性に、私のいつか商量するであろうすべてのものの明晰で判明な知覚をば、賦与したか、それともただ私の記憶に、私の明晰にそして判明に理解しない何物についても決して判断してはならないということをば、私が決してこれを忘れ得ないほど堅く刻みつけたか、すれば宜かったわけである。そしてもし私がかくのごときものであるように神によって作られていたならば、私は、私が或る全体としての意味を有する限りにおいては、現在私があるよりもいっそう完全であったろう、ということをば私は容易に理解する。しかしながら、だからといって、宇宙の或る部分は誤謬から免れていないが他の部分は免れているという場合のほうが、すべての部分がまったく類似しているという場合よりも、宇宙という全体のうちには或る意味でいっそう大きな完全性が存するはずであるということを、私は否定し得ない。そして神は私が世界においてすべてのうち最も主要であり最も完全である役を受持つことを欲しなかったからとて、私は訴うべき何らの権利をも有しないのである。
 またさらに、私は上述の第一の仕方で、すなわち商量せらるべきすべてのものの明証的な知覚に依存するところの仕方で、誤謬を絶つことができないにしても、私はもう一つの仕方で、すなわちただ、ものの真理が私に明白でないたびごとに、判断を下すことを差し控えるべきであることを想起するということに依存するところの仕方で、誤謬を絶つことができるのである。なぜなら、たとい私はつねに一つの同じ認識に堅く固執することができないという弱さが私のうちにあることを経験するにしても、しかし私は注意深いそしてしばしば繰り返された省察によって、その必要があるたびごとに、かのことを想起し、そしてかようにして過たない或る習慣を得るようにすることができるのであるから。
 まさにこのことに人間の最大のそして主要な完全性は存するゆえに、私は今日の省察によって、誤謬と虚偽との原因を探究したのであるからして、少からぬものを獲得したと思量する。そして実にこの原因は私が説明したのとは別のものであることができない。なぜなら、判断を下すにあたって意志をば、ただ悟性によって意志に明晰に判明に示されるところ
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