《あた》はず、又《また》所期《しよき》の十一だも達《たつ》する能《あた》はざるは、世上《せじやう》に其《その》例《れい》を多《おほ》く見《み》る處《ところ》なり。實《じつ》に身體攝養《しんたいせつやう》の事《こと》は、一日《いちじつ》と雖《いへど》も忽《ゆるかせ》に爲《な》す可《べ》からず。
世《よ》に傳《つた》はる攝養法《せつやうはふ》に種々《しゆ/″\》ありと雖《いへど》も、余《よ》の實驗《じつけん》に由《よ》れば、尤《もつと》も簡易《かんい》にして尤《もつと》も巧驗《こうけん》あるものは冷水浴《れいすゐよく》の他《た》にあらざる可《べ》し。故《ゆゑ》に余《よ》は此《この》攝養法《せつやうはふ》の廣《ひろ》く行《おこな》はれ、戰後《せんご》てふ大任《たいにん》を負《お》へる我《わが》國民《こくみん》の體力《たいりよく》を一層《いつそう》強固《きやうこ》ならしめ、各自《かくじ》の職責《しよくせき》を遺憾《ゐかん》なく遂行《すゐかう》せられんことを深《ふか》く希望《きばう》する處《ところ》なり。特《こと》に青年輩《せいねんはい》身心《しん/\》發育《はついく》の時代《じだい》にあるもの
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