おこな》ひ、春夏《しゆんか》の候《こう》は能《よ》く繼續《けいぞく》するを得《え》しも、寒冷《かんれい》の頃《ころ》となりては何時《いつ》となく怠《おこた》るに至《いた》り、其後《そののち》數年間《すうねんかん》は春夏《しゆんか》の際《さい》折々《をり/\》行《おこな》ふに過《す》ぎざりしが、二十五六|歳《さい》の頃《ころ》醫《い》を以《もつ》て身《み》を立《た》つるに及《およ》び、日夜《にちや》奔走《ほんそう》の際《さい》頭痛《づつう》甚《はなはだ》しき時《とき》は臥床《ふしど》に就《つ》きし事《こと》屡《しば/\》なりしが、其《その》際《さい》には頭部《とうぶ》を冷水《れいすゐ》を以《もつ》て冷却《れいきやく》し、尚《なほ》去《さ》らざる時《とき》は全身《ぜんしん》に冷水《れいすゐ》を灌《そゝ》ぎて其《その》痛《いたみ》全《まつた》く去《さ》りし故《ゆゑ》に、其後《そのご》頭痛《づつう》の起《おこ》る毎《ごと》に全身《ぜんしん》冷水灌漑《れいすゐくわんがい》を行《おこな》ひしが、遂《つひ》に習慣《しふくわん》となり、寒中《かんちゆう》にも冷水灌漑《れいすゐくわんがい》に耐《た》ゆるを得《え》たり。二十五六|歳《さい》の頃《ころ》より毎日《まいにち》朝夕《てうせき》實行《じつかう》して、七十七|歳《さい》の今日《こんにち》に及《およ》び、爾來《じらい》數十年間《すうじふねんかん》頭痛《づつう》を忘《わす》れ、胃《ゐ》は健全《けんぜん》となり、感冐《かんばう》に犯《をか》されたる事《こと》未《いま》だ一度《いちど》もあらず。往時《わうじ》を顧《かへり》みて感慨《かんがい》を催《もよふ》すの時《とき》、換骨脱體《くわんこつだつたい》なる語《ご》の意味《いみ》を始《はじ》めて解《かい》したるの思《おもひ》あり。

      第五

我《わが》國民《こくみん》今後《こんご》の責任《せきにん》は益《ます/\》重大《ぢうだい》ならんとするの時《とき》、活動《くわつどう》の根本機關《こんぽんきくわん》とも言《い》ふ可《べ》き身體《しんたい》の攝養《せつやう》には尤《もつと》も注意《ちゆうい》を要《えう》す。如何《いか》なる事業《じげふ》に從《したが》ふとも、體力《たいりよく》此《これ》に伴《ともな》ふて強健《きやうけん》ならずば、意《い》の如《ごと》く活動《くわつどう》する能《あた》はず、又《また》所期《しよき》の十一だも達《たつ》する能《あた》はざるは、世上《せじやう》に其《その》例《れい》を多《おほ》く見《み》る處《ところ》なり。實《じつ》に身體攝養《しんたいせつやう》の事《こと》は、一日《いちじつ》と雖《いへど》も忽《ゆるかせ》に爲《な》す可《べ》からず。
世《よ》に傳《つた》はる攝養法《せつやうはふ》に種々《しゆ/″\》ありと雖《いへど》も、余《よ》の實驗《じつけん》に由《よ》れば、尤《もつと》も簡易《かんい》にして尤《もつと》も巧驗《こうけん》あるものは冷水浴《れいすゐよく》の他《た》にあらざる可《べ》し。故《ゆゑ》に余《よ》は此《この》攝養法《せつやうはふ》の廣《ひろ》く行《おこな》はれ、戰後《せんご》てふ大任《たいにん》を負《お》へる我《わが》國民《こくみん》の體力《たいりよく》を一層《いつそう》強固《きやうこ》ならしめ、各自《かくじ》の職責《しよくせき》を遺憾《ゐかん》なく遂行《すゐかう》せられんことを深《ふか》く希望《きばう》する處《ところ》なり。特《こと》に青年輩《せいねんはい》身心《しん/\》發育《はついく》の時代《じだい》にあるものには、今《いま》より此《この》法《はふ》を實行《じつかう》して體力《たいりよく》を培養《ばいやう》し、將來《しやうらい》の大成《たいせい》を謀《はか》る事《こと》、實《じつ》に肝要《かんえう》ならずや。



底本:「命の洗濯」警醒社
   1912(明治45)年3月23日
※近代デジタルライブラリー(http://kindai.ndl.go.jp/)で公開されている当該書籍画像に基づいて、作業しました。
入力:田中敬三
校正:小林繁雄
2007年7月15日作成
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