、彌吾吉、利太郎の四名なり。家具着類は不自由ながらも僅に用を便ずるのみ。臥して青草《せいそう》を握り、且つ星を眺むるなり。
此際は殊に小虫多く、眼口鼻に入る為めに、畑に出《いず》るには何《いず》れも覆面して時々逃げて小屋内にて休息す。便処《べんじょ》にても時々「タイマツ」の様なるものを携うる事とせり。此れは小虫は火を嫌うを以て、小虫を避くるの為めなり。
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十二日、七時より放牧塲(ノフノヤウシ)即ち昨日見る処に至りて馬匹を観んと欲し、彌吾吉王藏同行せり。現塲《げんじょう》に至り、彌吾吉は馬匹の群を一見して馬匹中に異動あり、或は不足なりとて、尚調査するに、仔馬一頭は熊害《ゆうがい》にて臀部に裂傷あるを見たり。尚|瑞※[#「日+章」、第3水準1−85−37]《ずいしょう》北宝《ほくほう》も見えざるを以て、或は昨夜熊害の他《たの》馬匹にも及ぼす事あるかとて、王藏に命じて尚馬匹を集めて調査するに、瑞※[#「日+章」、第3水準1−85−37]北宝両|種馬《しゅば》の見えざるをもって深く案じたるも、両種馬は遥に他《た》群馬中に見えたり。且つ数十頭の遠くより揃うて急馳《きゅうち》するの勢い盛なるを見、且つ其迅速なるを見ては、実に言うべからざるの大快楽を覚えたり。且つ予は幼時|小金原《こがねがはら》にて野馬捕《のうまとり》とて野に放ちたる馬を集めて捕るを見たる事を想起せり。然れども彼時《かのとき》は只眼にて観るの楽《たのしみ》なるのみなりしも、現今我牧塲としてかかる広漠の地にて、且つ多数の我所有たる馬匹の揃うて進みて予に向うて馬匹等は観せたしとの意あるが如きを感じて、更に一種言うべからざるの感あり。其内に追々進みて近きに来り、瑞※[#「日+章」、第3水準1−85−37]北宝は無事に群中にありて大に安堵せり。然るに彼《か》の両種馬は、予が傍らに来りて心あるが如く最も親《したし》く接したり。他馬匹も同く、予は群馬の中《うち》に囲まれて、何《いず》れも予に接せん事を欲するが如く最も親しく慣るるは、此れ一種言うべからざるの感あり。
昨夜熊害は仔馬一頭を傷《いた》めたるのみなり。創《きず》は裂創《れっそう》にして、熊の爪にかけられたるも逃げ出して無事なりと。
熊は時々馬匹に害を与うるを以て、甞《かつ》てアイヌ一名を傭置《やといお》き、一頭を捕れば金五円|宛《ずつ》を臨時賞として与うることとせり。
十七日、又一帰塲せり。依《よっ》て又一を先導として、餘作同道にてウエンベツ山《ざん》に登る。川を渉り、或は沿岸を往き、或は樹間或は湿地を通行するに、熊の脚痕《あしあと》臥跡《ふしあと》あり。漸く進んで半腹《はんぷく》に至るに、大樹の多きに驚けり。中には我等の三囲《みかかえ》四囲《よかかえ》等《とう》の老樹多きに驚けり。山頂に登り、近くは斗満※[#「陸」の「こざとへん」に代えて「冫」、184−1]別、遠くは阿寒山を眺め、近き渓々《たにたに》は緑葉樹の蓊鬱《おううつ》たるを望み、西に斗満の蓊鬱たるを望み、近き西には斗満川を眺めたり。帰路※[#「陸」の「こざとへん」に代えて「冫」、184−3]別に出でたるに、土人小屋あり、一人《いちにん》の住する無きも、傍らに熊送りの為め熊頭《ゆうとう》を木に刺して久しく晒したるを以て白色《はくしょく》となれる数個を見たり。珍らしく覚えて一個を携え帰れり。昨夜仔馬一頭|斃《たお》れたり。此れ熊害にかかりたるものなり。
十八日、餘作と共に寛は発足す。又一、八重藏は、放牧塲迄見送りくれたり。放牧の牛馬は、予を慕うが如きを覚えたり。
十一月七日、又一札幌に向うて発す。此れ三十六年志願兵として一ヶ年間騎兵に服役する為めなり。
      *        *
           *        *
本年は樽川の畑は風損霜害にて収穫|大《おおい》に※[#「冫+咸」、184−13]じたり。依て我等夫婦殊に老妻は大に此れを憂いて、此損害の為めに収穫※[#「冫+咸」、185−1]ずるを以て、牧塲に大に関係するを以て、此れを償《つぐの》わんが為めに、我等夫婦は未《いま》だ慣れざる畑仕事を為し、屋敷内にて菜大根及び午蒡《ごぼう》人参等を植付けて喰料《しょくりょう》を助けて、一日《いちじつ》に責めては我等夫婦の喰料たる白米を五勺|宛《ずつ》にても※[#「冫+咸」、185−4]ずる時には、一ヶ月には何程か費用を※[#「冫+咸」、185−5]じて、其金員を貯えて又一が手許にて牧塲の資本たらしめん事を日夜怠らず。更に初めて寒地に来りて彼此に慣れざるが為めに、知らざる裏《うち》に空費あるをも省略せんと欲して、或は夕食には干菜《ひば》を粉《こ》として雑炊とし、或は製粉処にて粗末にて安価なるものを求めて団子として喰《しょく》する等は、実に恥ずべきの生活を為したるも、却って健康なるを以て、日中は夫婦共に畑に出で鍬鎌を握る為めに、手掌《てのひら》は腫れ、腰は痛むも、耐忍して怠らず。然れども本年は最初たるを以て、樽川の収入にて若干《そこばく》の予定を※[#「冫+咸」、185−11]ずるを補わんが為めにて、决して焦眉の急を防ぐの為めにはあらざるなり。我等の子孫たる者は、此れを忘るる時は、必ずや家を亡すに至るべきなり。
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馬匹五十二頭
牛七頭
蒔付《まきつけ》一町余
ソバ、馬鈴薯《じゃがいも》、大根、黍は霜害にて無し。
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      (二)

明治三十六年
五月廿六日、寛は王藏に送られて牧塲に着す。
同《おなじく》三十日には、寛は蕨を採りて喰料を補わんとして、草鞋はきにて藁叺《わらかます》を脊負い、手には小なる籠を持ち、籠に満《みつ》る時は藁叺に入るる事とせり。然るに片山夫婦は予に告げて曰く、通例の和服にては、小虫を防ぐには足らず、迚《とて》も耐忍すべからずと。斯く示されたりしも、強《しい》て和服にて股引をはきて出掛けたり。然るに初めての事なるを以て、最も近き山に入《い》り、蕨を採りたりしに、四囲より小虫の集る事は、恰《あだか》も煙《けぶり》の内に在るが如くにして、面部|頸《くび》手足等に附着して糠《ぬか》を撒布したるが如くにして、皮膚を見ざるに至れり。然れども甞《かつ》て决する事ありて、如何なる塲合にも耐忍すべきとするを以て、強て一時間ばかりにして眼胞《まぶた》は腫れて、且つ諸所に出血する事あり。此痛みと出血するとは耐忍するも、如何《いかん》せん払えども及ぶべからず。加之《しかも》眼胞は腫れて視る事を妨げ、口鼻より小虫は入《い》るありて、為めに呼吸は困難となり、耳内にも入りて耳鳴するのみならず、脳に感じて頭痛あるを忍ぶも、眩暈《めまい》を起して卒倒せんとするを以て、無余儀《よぎなく》小屋に向うて急ぎ逃げ去らんとするも、目くらみて急に走る事能わず。為めに小虫は身辺を囲みて離るる事無し。
漸く小屋に帰り、火辺にて煙の為に小虫の害を脱するを得たり。実に尚一時間も強て耐忍する時は、呼吸困難と、視る事能わざるに至らん乎。甞て聞く処あり、小虫の群集に害せられて危険に陥る事ありと。予は其実際に当《あたっ》て最も感ぜり。其以前に片山夫婦は予に示して曰く、面部は僅に眼を残して木綿にて包み、頸囲《くびのまわり》も密に巻き、手足に至る迄少しも隙無き様に働き着用の服類を用意して此れを用ゆる事と。丁寧に教えくれたるも、予は如何にも我慢をして小虫を忍ぶべしと強情を主張したるも、然れども実際に当ては迚も耐《たゆ》る事能わざるを以て、片山夫婦にわびして服従せり。依て片山夫婦に大に笑われたり。夫《そ》れよりは彼を着用する事とせり。其使用は面部は只眼を出《いだ》すのみ、厚き木綿にて巻き二重《ふたえ》とし、頸部も同じ薄藍色木綿の筒袖にて少しも隙無き様にして、且つ体と密着せしむ。腕にて筒袖口をくくり、隙無き様にして、脚には紋平《もんぺい》とて義経袴の如くにて上は袴の如く下は股引の如きものを穿き、足袋をはき、足袋との隙をくくるに厚き木綿を用ゆるなり。肌と着類の間に少しにても隙ある時は、小虫は此れより刺すを以て、隙の無きに注意するなり。此《かく》の如く着用するの貌《かお》を自らは其全体を見る事能わざるも、傍人の有様を見て、其昔宇治橋上に立ちて戦《たたかい》たる一來法師《いちらいほうし》もかくあらんかと思われたり。
かかる着用にて、炎熱の日に畑に出でたるには、炎熱と厚着の為めに全身は暑さを増すのみならず、汗出でて厚く着重ねたる木綿|衣《ぎもの》は汗にて流るるが如きに至るを以て、自《おのずか》ら臭気を発して、一種の不快を覚ゆると其|苦《くるし》さとにて、一日《いちじつ》には僅に三四時間の労働に当るのみ。実に北海道の夏は、日中は最も炎熱甚しく、依て此厚着にて労働するが為めには実に労《つか》るる事多し。且つ畑の傍《かたわら》にて朽木《くちき》を集めて焼て小虫を散ずるとせり。故に少しの休息間にも、火辺にありて尚炎熱に苦むなり。
予は初めは和服にて蕨採りに出でし際に、小虫を耐忍する事|一時《ひととき》ばかりなるも、面部は一体に腫れ、殊に眼胞《まぶた》は腫れて、両眼を開く事能わず、手足も共に皮膚は腫脹《しゅちょう》と結痂《けっか》とにて恰《あだか》も頑癬《かさ》の如し。為めに四五日は休息せり。且つ頭痛と眩暈《めまい》とにて平臥《へいが》せり。
小虫を防ぐの着類は揃いて、皮膚及び眼胞の腫れも※[#「冫+咸」、190−5]じたり。依て蕨採りとして出掛て、藁叺《わらかます》を脊負い、手には樹皮にて作りたる小籠を持ち、草鞋はきたり。然るに小虫は四囲より集り、只眼のみあきたるにより、為に眼囲《めのまわり》に向て集るを以て、絶えず手にて払わざる時は尚多く集りて耐ゆべからず。依て手にて絶えず払いたり。然れども右手《めて》に籠を持ち、左手《ゆんで》にて蕨を採るゆえに、小虫を払う時は蕨を採る事能わず。故に時々は籠を手より離して、地上に置く事あり。為めに蕨を採る事少きを以て、翌日より籠に紐をつけて頸にかけて出懸たり。依て都合よく片手に蕨を採り、片手にて絶えず小虫を払いたり。此れにて蕨は多く採りて、籠に満《みつ》れば叺にうつして脊負たり。然れども後《うしろ》には叺を脊負い、前には籠をさげて、体には厚き木綿着類を重ねたるゆえに、総身の重きと且つ前後にぶらさげたるゆえに、慣れざる老体には実に苦き事多きも、日々勤めて四五町を隔てたる処にて採りたりしも、追々耐忍力も出来且つ慣れたるを以て多く採る事となれり。依て尚多く採らんとの希望を起し、八九町も隔りたる所に多くあるを知り、且つ片山ウタ谷利太郎は其近き畑にて仕事をするを以て、其処《そこ》に出懸けたり。然るに蕨は多く採りて叺に入れたるに、僅に六七貫目たるも、予が老体には重きに耐えざるを以て、地上に叺を置き専ら蕨を採りたり。然るに蕨の多く採れるを喜びつつ、小虫を払うを怠れり。故に小虫は多く集りて恰も煙の内にあるが如くにて、予が一身の四囲を最も濃密に集りて、且つ眼も小虫の為めに塞《ふさが》り、十分に見る事能わざるを以て、小虫の此群集の内を脱せんとして、疾行して諸方に歩を転ずるも、其小虫の群集の内を脱する事能わず。尚眼は塞りて視る事不分明となり、置きたる叺を見出す事能わずして苦めり。尚如何にしても叺を見出す事能わざるを以て、無拠《よんどころなく》大声を発して遠き畑に在るの利太郎を呼びて、漸く蕨を入れたる叺を見出したる事あり。
此際は蕨のみならず、蓬《よもぎ》も多く採りたり。其時|直《すぐ》に用うる時は、黍《きび》と共に蓬を以て草餅として喰《しょく》する時は、珍《めずらし》く味《あじわい》あるを何《いず》れも喜んで喰するによりて、大に経済上に於て益あり。予は別《わけ》て草餅を好むを以て日々の喰料とせり。亦久しく貯えて長く用ゆるには、煮て干し上げて貯うる時は、何日《いつ》も草餅を喰せんと欲する時に臨んで草餅と為す事を得るなり。亦蓬の少き地方に贈物として大に親睦を取るの事となるあり。当地の蓬は殊に大《おおき》く且つ多く、採り易きを以て
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