に》中川郡《なかがわぐん》本別村《ぽんべつむら》字《あざ》斗満《とまむ》
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関牧塲創業記事
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[#地から6字上げ]八十一老 白里 関寛誌す

      (一)

明治三十三年八月、又一は札幌農学校在学中シホホロ迄|来《きた》り、同地にて実地を検して且つ出願せんとす。
三十四年一月、又一は釧路を経て※[#「陸」の「こざとへん」に代えて「冫」、175−7]別《りくんべつ》に来《きた》る。
同年五月、斗満原野三百万坪余の貸付許可を得たり。
同年七月、又一農学校卒業す。直《ただち》に※[#「陸」の「こざとへん」に代えて「冫」、175−9]別に来る。
同年十月、藤森彌吾吉《ふじもりやごきち》に左《さ》の牛馬を追わせて愛冠《アイカップ》に至らしむ。
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牛八頭 馬廿一頭。
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明治三十五年三月十七日、片山八重藏夫婦|樽川《たるがわ》を発し、北宝号《ほくほうごう》、耕煙号《こうえんごう》、瑞※[#「日+章」、第3水準1−85−37]号《ずいしょうごう》、札幌号の四頭《しとう》を追うて、落合迄※[#「さんずい+氣
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