ずべきの生活を為したるも、却って健康なるを以て、日中は夫婦共に畑に出で鍬鎌を握る為めに、手掌《てのひら》は腫れ、腰は痛むも、耐忍して怠らず。然れども本年は最初たるを以て、樽川の収入にて若干《そこばく》の予定を※[#「冫+咸」、185−11]ずるを補わんが為めにて、决して焦眉の急を防ぐの為めにはあらざるなり。我等の子孫たる者は、此れを忘るる時は、必ずや家を亡すに至るべきなり。
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馬匹五十二頭
牛七頭
蒔付《まきつけ》一町余
ソバ、馬鈴薯《じゃがいも》、大根、黍は霜害にて無し。
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(二)
明治三十六年
五月廿六日、寛は王藏に送られて牧塲に着す。
同《おなじく》三十日には、寛は蕨を採りて喰料を補わんとして、草鞋はきにて藁叺《わらかます》を脊負い、手には小なる籠を持ち、籠に満《みつ》る時は藁叺に入るる事とせり。然るに片山夫婦は予に告げて曰く、通例の和服にては、小虫を防ぐには足らず、迚《とて》も耐忍すべからずと。斯く示されたりしも、強《しい》て和服にて股引をはきて出掛けたり。然るに初めての事なるを以て、最も近き山に入《い》り、蕨を採りたりしに、四囲より小虫の集る事は、恰《あだか》も煙《けぶり》の内に在るが如くにして、面部|頸《くび》手足等に附着して糠《ぬか》を撒布したるが如くにして、皮膚を見ざるに至れり。然れども甞《かつ》て决する事ありて、如何なる塲合にも耐忍すべきとするを以て、強て一時間ばかりにして眼胞《まぶた》は腫れて、且つ諸所に出血する事あり。此痛みと出血するとは耐忍するも、如何《いかん》せん払えども及ぶべからず。加之《しかも》眼胞は腫れて視る事を妨げ、口鼻より小虫は入《い》るありて、為めに呼吸は困難となり、耳内にも入りて耳鳴するのみならず、脳に感じて頭痛あるを忍ぶも、眩暈《めまい》を起して卒倒せんとするを以て、無余儀《よぎなく》小屋に向うて急ぎ逃げ去らんとするも、目くらみて急に走る事能わず。為めに小虫は身辺を囲みて離るる事無し。
漸く小屋に帰り、火辺にて煙の為に小虫の害を脱するを得たり。実に尚一時間も強て耐忍する時は、呼吸困難と、視る事能わざるに至らん乎。甞て聞く処あり、小虫の群集に害せられて危険に陥る事ありと。予は其実際に当《あたっ》て最も感ぜり。其以前に片山夫婦は予に示して曰く、面部は僅に眼を残して木綿
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