賞として与うることとせり。
十七日、又一帰塲せり。依《よっ》て又一を先導として、餘作同道にてウエンベツ山《ざん》に登る。川を渉り、或は沿岸を往き、或は樹間或は湿地を通行するに、熊の脚痕《あしあと》臥跡《ふしあと》あり。漸く進んで半腹《はんぷく》に至るに、大樹の多きに驚けり。中には我等の三囲《みかかえ》四囲《よかかえ》等《とう》の老樹多きに驚けり。山頂に登り、近くは斗満※[#「陸」の「こざとへん」に代えて「冫」、184−1]別、遠くは阿寒山を眺め、近き渓々《たにたに》は緑葉樹の蓊鬱《おううつ》たるを望み、西に斗満の蓊鬱たるを望み、近き西には斗満川を眺めたり。帰路※[#「陸」の「こざとへん」に代えて「冫」、184−3]別に出でたるに、土人小屋あり、一人《いちにん》の住する無きも、傍らに熊送りの為め熊頭《ゆうとう》を木に刺して久しく晒したるを以て白色《はくしょく》となれる数個を見たり。珍らしく覚えて一個を携え帰れり。昨夜仔馬一頭|斃《たお》れたり。此れ熊害にかかりたるものなり。
十八日、餘作と共に寛は発足す。又一、八重藏は、放牧塲迄見送りくれたり。放牧の牛馬は、予を慕うが如きを覚えたり。
十一月七日、又一札幌に向うて発す。此れ三十六年志願兵として一ヶ年間騎兵に服役する為めなり。
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本年は樽川の畑は風損霜害にて収穫|大《おおい》に※[#「冫+咸」、184−13]じたり。依て我等夫婦殊に老妻は大に此れを憂いて、此損害の為めに収穫※[#「冫+咸」、185−1]ずるを以て、牧塲に大に関係するを以て、此れを償《つぐの》わんが為めに、我等夫婦は未《いま》だ慣れざる畑仕事を為し、屋敷内にて菜大根及び午蒡《ごぼう》人参等を植付けて喰料《しょくりょう》を助けて、一日《いちじつ》に責めては我等夫婦の喰料たる白米を五勺|宛《ずつ》にても※[#「冫+咸」、185−4]ずる時には、一ヶ月には何程か費用を※[#「冫+咸」、185−5]じて、其金員を貯えて又一が手許にて牧塲の資本たらしめん事を日夜怠らず。更に初めて寒地に来りて彼此に慣れざるが為めに、知らざる裏《うち》に空費あるをも省略せんと欲して、或は夕食には干菜《ひば》を粉《こ》として雑炊とし、或は製粉処にて粗末にて安価なるものを求めて団子として喰《しょく》する等は、実に恥
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