作《な》すこと能《あた》はざる為なり。今本篇の主人公太田なるものは可憐《かれん》の舞姫と恩愛の情緒を断《た》てり。無辜《むこ》の舞姫に残忍苛刻を加へたり。彼を玩弄《ぐわんらう》し彼を狂乱せしめ、終《つひ》に彼をして精神的に殺したり。而《しか》して今其人物の性質を見るに小心翼々たる者なり。慈悲に深く恩愛の情に切なる者なり。「ユングフロイリヒカイト」の尊重すべきを知る者なり。果して然らば「真心の行為は性質の反照なり[#「真心の行為は性質の反照なり」に傍点]」と云へる確言を虚妄《きよばう》となすにあらざる以上は太田の行為――即《すなは》ちエリスを棄てて帰東するの一事は人物と境遇と行為との関係支離滅裂なるものと謂《い》はざる可《べ》からず。之を要するに著者は太田をして恋愛を捨てて功名を取らしめたり。然れども予は彼が応《ま》さに功名を捨てて恋愛を取るべきものたることを確信す。ゲエテー少壮なるに当ツて一二の悲哀戯曲を作るや、迷夢弱病の感情を元とし、劇烈|欝勃《うつぼつ》の行為を描き、其主人公は概《おほむ》ね薄志弱行なりし故に、メルクは彼を誡《いまし》めて曰《いは》く、此《かく》の如き精気なく誠心なき汚穢《をわい》なる愚物は将来決ツして写す勿《なか》れ、此の如きことは何人《なんぴと》と雖《いへど》も為《な》し能ふなりと。予はメルクの評言を以ツて全く至当なりとは言はず。又「舞姫」の主人公を以ツて愚物なりと謂はず。然れども其主人公が薄志弱行にして精気なく誠心なく随《したが》ツて感情[#「感情」に白丸傍点]の健全ならざるは予が本篇の為めに惜む所なり。何をか感情と云ふ。曰く性情《ゼーレ》の動作にして意思《ガイスト》――考察と共に詩術の要素を形《かたちづ》くるもの即ち是《これ》なり。蓋《けだ》し著者は詩境と人境との区別あるを知つて、之を実行するに当ツては終に区別あるを忘れたる者なり。
著者は主人公の人物を説明するに於て頗《すこぶ》る前後矛盾の筆を用ゐたり。請ふその所以《ゆゑん》を挙げむ。
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我心はかの合歓《ねむ》といふ木の葉に似て物ふるれば縮みて避けんとす我心は[#「物ふるれば縮みて避けんとす我心は」に傍点]臆病[#「臆病」に白丸傍点]なり我心は[#「なり我心は」に傍点]処女[#「処女」に白丸傍点]に似たり余が幼き頃より長者の教を守りて学の道をたどりしも仕への道を歩
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