「靈魂」も「不死性」もともにすでに原始民族の間にも存する通俗的觀念であり、學問的論究乃至原理的省察の立場に取上げられた後においても、學者や思想家の立場の相違以外なほ通俗的意義の影響によつて極めて複雜不鮮明なる事態が釀し出されたにも由るが、他方又特に、時間性の理解を可能ならしめる研究態度に關する根本的自覺の不足乃至はその理解そのものの薄弱さに由る所が少くない。古來多くの偉大なる哲學者たちが好んで取扱つた題目でありながら、靈魂不死説ほど説得力に乏しき教説は他に稀れであらう。試みに歴史上最も代表的意義をもつた二三について見よう。プラトンの「パイドン」(〔Phaido_n〕)を繙くならば、論述の目的が靈魂不死説の證明に存するに拘らず、この證明は、プラトン自ら告白を惜まなかつた如く、理論的に甚だ薄弱であり、それの意義と價値とはむしろ材料又は論據として繰出されてゐる諸教説殊にイデアの説に存するに人は驚くであらう。メンデルスゾーン(Mendelssohn)の同名の著書は、名聲の高かつたにも似ず、又外形上は輪郭や登場人物をプラトンより借り來つたに拘らず、啓蒙時代の流行思想を内容とする飜案的乃至模倣的作品に過ぎず、それの存在の意義は哲學的よりはむしろ文學的のものであつた。メンデルスゾーンによつて「一切の粉碎者」と命名され、又かれによつて代表された當時流行の靈魂不死説を事實粉碎した、カントがそれに代へて「實踐理性の要請」の名のもとに提案した新しき靈魂の不死性の證明について見るも、強き深き信念や世界觀を背景として持つてゐるにも拘らず、證明そのものは甚しく粗笨である。「純粹理性批判」において「靈魂」(Seele)の形而上學的概念を粉碎し又眞の實在者の超時間性を力強く主張したその同じ人が、靈魂の無終極的――從つて勿論時間的――存續を「要請」(Postulat)の名のもとに、即ちかれ自らの説明によれば、根據は實踐的法則に存するもそれ自らは依然理論的なる命題として、よくもかく無造作に説き得たと、人は驚かずにはゐられぬであらう。
死そのものがすでに客觀的認識の對象として取扱ひ得ぬ事柄である以上、不死性も亦自己理解においてはじめて開示される事柄、信念としてのみ成立つ事柄である。これを理論的に根據づけ得るが如く取扱ふのは、すでに研究の發足において態度を誤つてゐる。吾々の研究はその自己理解その信念そのものを、なし得べくは、生におけるそれの源まで遡つて究め、かくてそれの眞の姿を明かにすることによつて、またそれの正しき理解を得るを目的とせねばならぬ。吾々は勿論批判を試みるであらう。しかしながら、その批判は理解としてのそれ、言ひ換へれば、事柄そのものより、即ちこの場合不死性そのものの本質より、それの本來志向する所意味する所より、する批判でなければならぬであらう。
二二
「靈」及び「魂ひ」乃至それらに該當する語は、通俗的には今日まで多くの場合死と聯關して用ゐられる(一)。原始民族の間に行はれる思想によれば、人間の死後なほ生殘るものは人間そのものであつて人間の一部分ではないことは、すでに述べた如くである。それは死骸そのものであるか、或は死骸の傍ら別の存在を保ちつつしかも結局何等かの意味において死骸と同一なるその人自身である(二)。死骸と區別されるやうになつても――これは火葬の場合特に明かに行はれることであるが――靈又は魂ひはいつも全きその人である。今最も豐かなる將來によつて惠まれ殆ど典型的發展を遂げたギリシア人について觀れば、ホメロスの詩に「プシュケー」(〔Psukhe_〕)と呼ばれ居るものは、かくの如き靈又は魂ひなのである。これは死者その人であつて、生前かれの一部分をなした何ものかが離れ出たといふが如きものではない。人間が生きてゐる間生命を司るいはば生命力ともいふべきものがなほその外にある。ホメロスではこれは「テュモス」(thumos)と呼ばれてゐるが、一般に血液又は呼吸と結び附けられ乃至同一と考へられる。これは死と共に消え失せ乃至いづこへか去つて、もはやその人とは從つて靈魂とも無關係である。魂ひをして生前の生に關與せしめぬことが原始的思想の特徴である。かかる立場においては、現に生きてゐる生の主體が、自らの死について乃至死後の運命について深き内面的省察をなすは縁近きことである。死は客觀的出來事として取扱はれる。尤もこの客觀的出來事はわが身にも振りかかつて來る故、死後の存在は生者の關心を呼ぶであらう。死後の國の王であるよりは貧しき人の地を耕す賤の男でありたい(三)、と叫んだアキレスの如く、死後の存在に、たとひ消極的意義においてにせよ、思ひを向けることは常に行はれる事であらう。しかしながら、自己の運命よりも、むしろ專ら他の人々との關係、言ひ換へれば、殘つた人々の吉凶禍福に及ぼす影響の觀點よりして死後の存在は考察される。生者にとつては自己の死後の運命よりも、死者即ち他の者の魂ひに對して自己の取るべき態度が問題なのである。さて魂ひが生者の生と結び附き生の力生の原理といふ意義を持つに至つたのは、多分イオニアの哲學者においてであらう。これは畢竟ホメロスの「テュモス」を學問の立場より「プシュケー」と呼び替へただけに過ぎぬやうではあるが、死後の存在を呼ぶ名が生を司るものに與へられるに至つたことは、思想史上意義深き出來事である。ソクラテスにおいて、魂ひの司る生が、智慧や眞理や善惡や正不正などを主なる内容乃至關心事とするものとなつたのは、更に一段の進歩である。すなはち魂ひは文化的生の主體を意味するに至つたのである。しかしながら、文化意識の發揚をわが天職と信じた彼が死後の運命について多くを語らず多く心を勞しなかつたことも、文化的時間性の本質を思へば、當然といふべきであらう。ここに必要なる最後の一歩を踏出したのは周知の如くプラトンであるが、かれをそこまで進み得しめたものはオルフィク教の影響であつた。この宗教團體においては自己の死後の運命が關心の中心に置かれた。ここに至るまでの徑路は決して簡單ではなかつたであらうし、又研究上決して容易なる課題ではないであらうが、その發展の重要なる契機としては、死後の生の主體と生前の生の主體との同一性の觀念の成立が、特に擧げらるべきであらう。これは一時學界を風靡したアニミズムが、又それに從つてローデが、原始人共通の觀念として説いた「魂ひ」(プシュケー)の觀念に當るものである。この場合生者の魂ひは單に死者の魂ひの後方への延長に過ぎぬ觀があり、殊にオルフィク教においては、魂ひは生れる前すでに天上に存在した神的存在者が人間の身體に假りの宿りを求めたものに過ぎぬ故、關心の中心に立つたのは、今現に生きてゐる人間的主體の運命といふよりは、むしろ死後はじめて自己本來の天地に到着乃至歸還するであらう外來的寄留者、場合によつては、現實の生と沒交渉なる一種の神話的存在者としての魂ひの運命に外ならなかつた。プラトンがかかる思想の影響を受けながらなほ哲學の傳統の上に立ち、關心を今現に生きる生殊に文化的生の主體としての魂ひに集中したことは意味深き出來事である。そのことによつて、今現に生きる人間的主體が自己の運命としての靈魂の不死性に對して抱く關心は可能にせられ、又哲學的理解の事柄となり得たのである。しかしながらオルフィク教の影響は、文化的生の偏重を意味するかれ自らの觀念主義と相俟つて、魂ひと身體とをあまりに相隔たらしめ、その事の歸結として、死及び死後の生を、全き人間ではなく單に一部分に過ぎぬ魂ひにのみ關する事柄にをはらしめた。死を主として客觀的世界の出來事と看做す原始人以來の客觀主義は、死を魂ひと身體との分離として理解せしめることにより、この傾向を助長した。プラトン以後魂ひは極めて豐富なる理解の歴史を經たが、それの基本的意義は大體かれに至るまでの發展において盡されて居り、多くの場合、殊に學問的考察においては、それは殆ど「心」又は「精神」の同義語として用ゐられる。すなはち、それは一方死者であるとともに他方生を司る力乃至生の主體であり、しかしてかくの如く生との聯關において見られる時、それは人間の最も肝要なる部分をなすに相違ないが、全き人間を意味せぬことがそれの本質的特徴である。この特徴は、語義の複雜曖昧によつてすでに惹起された、それの學問的用語としての價値に對する疑念を、更に深める。吾々の論究の題目は、人間主體がいかにして時間性を又死を克服し永遠性を體得するかである。所謂靈魂の不死性はこの問題と聯關し乃至それによつて包括される限りにおいてのみ考慮に値ひするに過ぎぬであらう。かかる事情の下においては、吾々は古きたふとげなる傳統には敬意を表しつつも、この觀念この名稱をむしろ哲學的原理的論究より遠ざけるに如くはないであらう。
原始民族の間において死に關心が向けられる限りそれは存在の・生の・特殊の形態を意味したことはすでに述べた。不死性の觀念はここに胚芽としてはすでに存在するが、未だ明かに成熟したる形において現はれてゐない。死後存續する靈も場合によつては、例へば生存者の祭祀の絶えた時などは、いつしか消え失せることは可能である。死の根源である時間性の原理的克服が、何等かの形においてすでに存在する處にのみ、不死性の觀念は有意味に成立つのである。そのことは客觀的時間性においてすでに見られる。これは文化的時間性の一變種ではあるが、文化的生本來の性格をなす活動において主體性が特殊の形象乃至領域として客體面に顯はになつてゐるのと異なつて、ここでは、成功不成功は別として、すでに原理的に主體よりの離脱の試みがなされてゐる。そのことの歸結として、時は無際限の延長を見、かくて「無終極性」が時間性の性格として成立つてゐる。永遠性を意味する不死性は先づ差し當りこの形を取らねばならぬであらう。果せるかな、これはプラトン以來カントに至るまで歴史の主流として不死性の觀念が事實上取つた形なのである。
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(一) 一九節註二に引用された諸書及び次の諸書參看。Er. Rohde: Psyche. ―― J. Burnet: The socratic Doctrine of the Soul. (Essays and Addresses, P. 126 ff)
(二) 何らかの聯關を有するものを直ちに同一と考へることは原始民族の精神構造の特徴である。〔Le'vy−Bruhl〕 はこれを明かにした功績を有する。尤も氏がそれを 〔mentalite' pre'logique〕 と呼んだのは、氏自らの主張とはむしろ正反對に、却つて氏がヨーロッパ人式考へ方に囚はれてゐるを示す。現代文化人とは甚しく異なつた、場合によつては正反對なる考へ方をするといふことは、それが論理前であるといふこととは決して同じでない。少しく強く言ひ表はせば、これはヘーゲル派の人々がアリストテレスやカントの論理を 〔mentalite' pre'logique〕 と呼ぶであらう場合と似てゐるのである。
(三) Od. XI, 489.
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二三
「時」に始め及び終りがあるかなきかについて、すでにデモクリトス(〔De_mokritos〕)やプラトンの昔考察が向けられたことは、アリストテレスの記述よりして察せられる(一)。すでにそれらの兩思想家においてもさうであつたやうに、この問題は多くの場合世界乃至それの内容に關する宇宙論的自然哲學的考察に聯關して取扱はれる。創造と終末とによつて世界の存在が兩方面より限局されるといふ宗教思想を抱いたアウグスティヌスやトマス・アクィナスその他ヨーロッパ中世の思想家達が、同じ觀點を取つたのはもとより然るべき事である。カントの第一アンティノミー(二律背反)も間接にはこの問題に觸れてゐるが、但しこれも世界の始めと終りとに關する宇宙論的問題に聯關してである。尤も「空虚なる時」(die leere Zeit)といふ觀念は論理的抽象の産物に過ぎず、時は本質上何等か
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