的時間性は文化的時間性において變貌を遂げるが、その變貌は修正を意味したのである。文化的生の時間的性格は現在に存する。それの支配の及ぶ限り有と存在とあるのみである。根源的體驗においては存在の墓であつた過去はここでは却つて存在の母胎となる。この時間性の世界に屬する限り何ものも滅びることを知らぬ。主體は現在を樂しみ將來を望みつつ自己の實現に生きる。
 しかしながら、この活動と享樂と希望との美しき世界も根柢においては實は砂上に築かれたる玩具普請に過ぎぬ。一切を擔ひ支へる筈の現在は絶えず壞滅の中に葬り去られる。又それは將來に、從つて他者に、依存する存在である。時間性のこの性格の徹底化こそ死である。死の運命性において、必然性乃至強制性を兼ねたるそれの可能性において、人間性の深刻なる悲劇は存する。時間性の克服は死のそれでなければならぬ。永遠性は不死性として成立たねばならぬ。
 「不死性」(Unsterblichkeit)はプラトン以來「靈魂」の不死性乃至不滅性として知られてゐる。しかるにこの觀念は、古き榮えある傳統にも拘らず、甚しく意義の明瞭を缺き、殆ど學問的使用に耐へぬ嫌ひがある。これは一つには、
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