難い。嚴密にいへば、文化の世界には生のみあつて死は無いのである。かくて吾々は事柄の更に深き根源に考察を向け、文化的生の基體である自然的生へ時間性の根源的體驗へと遡るべく促される。死は直接的體驗の事柄ではないが、それにも拘らず、時間性の直接的體驗にまで自己省察を向けることによつて、はじめて自らの意味をもつ特異の獨立の事柄として成立ち又理解されるのである。
 死は自然的時間性、時の不可逆性、の徹底化である。主體のその都度の現在だけではなく、全き現在の即ち生の全體の壞滅、無への沒入が死である。統一的全體的主體にとつて存在の維持者である實在的他者との交渉が斷たれ、從つて根源的意義における將來が無くなることが死である。對手を失つた主體、將來の無き生、これが死である。吾々はすでに、根源的時間性において現在が過去へと存在を失ひつつ、しかも將來より補給されるを見た。絶えず非存在へと過ぎ去りつつしかもなほ現在が成立つのは、將來があり他者との交渉があるからである。存在の補給路が全く斷たれたる現在、全く孤獨に陷つた主體、去るあるのみ待つもの來るものの全く無くなつた生は滅びる外はない。主體のかくの如き全面的徹
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