sと同一視することには力強き反對が起るであらう。人は先づ過去が囘想又は記憶の内容となつて存在し又影響を及ぼすことを論據としてそれの非存在性を否定するであらう。しかしながら、後にも論ずる如く、囘想の内容として主體の前に置かれるのは、實は反省によつて客體化されたる何ものかであつて、それの有り方は過去ではなく現在なのである。囘想は現に生きる主體の働きとしてそれの内容はかかる主體に對する客體として存在するのである。次に、人はかく問ふであらう。體驗されるものは何等かの形において有るもの、從つて「無」や「非存在」はそれ自らとして體驗され得ぬものである以上、非存在への移り行きも亦體驗を超越する事柄でなければならず、かくては時の内部的構造に屬する一契機として體驗されるといふ過去も結局空想に過ぎぬのではなからうか。將來に關しても同じ論法が適用され得るとすれば、體驗上の事柄としては結局現在のみが殘るのではなからうかと。さてこの異議に對しては、吾々は、無や非存在が單純にそれ自らとして體驗されぬことは、決してそれが何等の形においても體驗されぬことを意味せぬと答へよう。單純にそれとしての他より切離されたるものと
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