シちに非存在へと過ぎ去り行く。この絶え間無き流動推移が時である。かくの如く將來も過去も現在を流動推移たらしめる契機としてそれのうちに内在する。ここでは生ずるはいつも滅ぶるであり、來るはつねに去るである。動く生きるといふことが現在の、又從つて時の、基本的性格である。時のある限り流動は續き從つて現在はいつも現在であるが、これを解して時そのものは不動の秩序乃至法則の如きものであり動くは單に内容のみと考へるのは誤りである。内容に即して現在は絶えず更新されて行く。主體の生の充實・存在の所有として、現在は内容を離れて單獨には成立ち得ない。むしろ内容に充ちた存在こそ現在なのである。内容と共に絶えず流れつついつも新たなのが現在である。
來るを迎へることにおいて將來は、又去るを送ることにおいて過去は成立つとすれば、その來るはいづこよりであり又その去るはいづこへであるか。考察を嚴密に體驗の範圍に限定する限り等しく「無」又は「非存在」と答へねばならぬやうにも思はれる。さて、將來を未だ有らずとの故をもつて非存在と看做すは多分多くの異議を呼ばぬであらうが、之に反して過去即ちすでに有つたものを單純に非存在への移
前へ
次へ
全280ページ中7ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
波多野 精一 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング