オかもこの場合現在によつて區劃さるべき筈の「將來」も「過去」も實は存在せぬ以上、時は本質上全く虚無に等しくなければならぬであらう(一)。しかしながらかくの如きは體驗における時を無視して客觀的時間のみを眼中に置く誤つた態度より來る誤つた結論に過ぎないのである。時を空間的に表象することは、後に立入つて論ずる如く、客觀的時間の場合には避け難き事であり、從つて現在を點として表象することも許される事、又特に時を數量的に取扱はうとする場合には、避け難き事であらう。しかもかかる考へ方の覊絆を脱すべく力めることが、時の眞の理解に達しようとする者にとつては、何よりも肝要なる先決條件なのである。
 現在は決して單純なる點に等しきものではなく、一定の延長を有し又一定の内部的構造を具へてゐる(二)。體驗においては、時は一方現在に存するともいひ得るが、しかも他方において、その現在は過去と將來とを缺くべからざる契機として己のうちに包含する。現在は絶え間なく來り絶え間なく去る。來るは「將來」よりであり、さるは「過去」へである。將に來らんとするものが來れば即ち存在に達すればそれは現在であるが、その現在は成立するや否や
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