ことに外ならぬ。實在性とは中心に立ち中心より生きる存在の謂ひである。すなはち、實在するものは他の何ものかの自己のうちに入り來るを許さず、他者の侵略に對し飽くまでも自己を防衞し、更に進んでは他者を侵略しつつ自己を主張貫徹する。主體の生内容が、主體の自己に屬するものが、實在する他者を指し示し代表することがなかつたならば、主體と他者との交りは行はるべくもない。かくの如き實在的交渉の最も基本的直接的なるもの原始的根源的なるものが自然的生である。文化的生はかかる原始的交渉よりの解放を本來の性格として有するものであるが、假りにこの本質的傾向が貫徹されたとすれば、すでに論じた如く、一切はたわいもなき夢や幻の如く飛び散り實在する主體は空虚のうちに融け去るであらう。客體の他者性の強化によつてこの危險を食ひ止めるのが客觀的實在世界の任務であり、しかしてそのことは自然的生への一種の復歸によつて行はれる。しかもこの復歸を成就するは認識である以上、認識が文化的生においていかに重要なる役割を演ずるかは、この方面よりしても明かに看取されるであらう。それは一方より觀れば觀想の性格を擔つて文化的生の本質的傾向の貫徹を志
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