ならず、しかもそのためには吾々は遡つてこの世界がいかにして成立つかを知らねばならぬ。
すでに論じた如く、客觀的實在世界は客體を實在的他者に歸屬せしめることによつて成立つ。このことは客體面の擴がつたものが新たに實在的中心を得從つてそれの表現となることを意味する。しかもこの場合その新しき中心は主體と實在的關係交渉に立つ實在的他者である。客體は實在的他者の表現、即ち、それにおいて後者が隱れたる中心としての自己を顯はにすることによつて自己主張自己實現を行ふ所のものとなる。言ひ換へれば、實在的他者は客體に對していはば新たにそれ自ら主體の位置に立つに至る。これは認識する主體の動作によつて行はれ、その限りにおいては、主體の自己實現の活動に基づき、從つて文化的生の一形態として成立つ事柄であるが、傍ら又、自然的生への復歸をも意味することはすでに述べた如くである。かくの如く主體の自己表現としての客體が實在的他者の自己表現となることによつて、文化の段階における實在的他者との交りは行はれるのである。主體の自己表現と實在的他者の自己表現とが客體において一に歸することは、それに象徴としての意義と資格とを付與する
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