間の變種に過ぎぬ。それは觀想の立場において時間性の取る特殊の性格である。しかもこの立場においては主體は客體の蔭に隱れ單に動作の隱れたる中心としてのみ存立を保つ故、この時間性の主體に對する意義は稀薄である。徹底的にいへば、後の論述で明かであらう如く、時間性よりの離脱こそこの立場にふさはしき態度なのである。しかしながら、觀想が客觀的實在世界の認識といふ形を取る場合には、すでに論じた如く、自然的生への或る意味の復歸が行はれる。具體的にいへば、かかる認識が實在者のそれとなるためには、吾々は客體内容及びそれの聯關の考察だけで足りるとはなし得ぬ。例へば理論的物理學においてさへ實驗が必要である如く、吾々は實在的他者に出會ひ行當りそれと自然的直接性の間柄に立たねばならぬ。しかるに自然的生への聯關がなほ殘留する處には時間性も亦殘留する。かくして成立つのが客觀的時間である。客觀的實在世界の認識が觀想である限り主體は影をひそめ活動の性格は表面より退く故、この時間性は主體自らの性格をなすことなく、ただ客體の世界の性格をなすに過ぎぬ。さてこの時間性の構造を理解するためには吾々は客觀的實在世界の構造を明かにせねば
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