立つものであり、從つてそれを擔ふ地盤の制約と影響とを脱し得ない。一切を擔ふ「現在」は依然絶え間なき移動轉化を示す現在である。無の中より浮び上る如く見える過去はただ絶えず無の中に沈み行く現在によつてのみ支へられる。生は滅びることを知らぬであらうが、それは現在が持續する限りといふ條件の下においてに外ならぬ。その恆常性は結局瀧つ瀬を彩る虹のそれ以上のものではあり得ぬであらう。外觀は平和と幸福とをたたへる如くであらうが、立入つて實質的内容を檢討すれば、他者性と自己性との兩契機從つて過去と將來との兩領域は、相俟ち相促しつつ、しかも他方において互に牽制し互に反目しつつ、文化の存在の意味である自己實現をいつも未完成のままに置去りにする。生はいつも缺乏の中に留まりいつも完きを得ずにをはる。過去と將來とのいつも新たなる色彩華やかなる交互聯關は、結局絶えず壞滅の中に消え失せて行く自己の姿を蔽ひ隱さうとするはかなき幻の衣に過ぎぬであらう。文化主義人間主義世俗主義は畢竟かくの如き自己欺瞞の所産でなくて何であらうか。
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第三章 客觀的時間
一四
客觀的時間は文化的時
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