し、しかも他方、自然的生への復歸を遂げることによつて同じ生を崩壞より救ひ、それに根源への復歸と實在的基礎とを確保する。これは日常生活においてすでに行はれ居る事であり、認識が學問へと發展擴充を見ることによつて、それの本來の志向は完遂される。
以上によつて擬人性が客觀的實在世界の認識の必然的特質をなすことは明かとならう。認識の直接の對象をなすものは客體としての觀念的存在者であり、これの根源的意義は主體の自己表現であるに存する。主體は自己の表現を通じてはじめて他者を認識し得るのである。實在する他者そのものは決してわがうちに入り來らず、しかもわれに屬するものが同時にわれの外《そと》にあるものを代表する處に認識は成立つのである。若し主體の表現と他者の表現とが一に歸して主體における他者の象徴を成立たしめることが無かつたならば、認識は到底不可能にをはるであらう。ここに古へより認識の客觀的妥當性を否み又は疑はうとしたあらゆる教説の究極の根據が見出される。若し推理によつて、從つて反省の立場に立ちつつ客體内容の聯關をたどることによつて、實在者に到達する以外に途がないならば、吾々はいかに力めようとあせらう
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