然は、過去の背景をなしつつそれの他者性を強化するに特に役立つ。しかしながらかくの如き自然も客體に屬し從つて可能的自己としてのみ文化的意義を有し、又過去も結局主體の現在に包括されて成立ち從つてそれの支配の下に立つ故、文化的歴史的時間においては、過去は自然をも含めて自己の過去としてのみ成立つのである。主體が自己の過去の土臺の上に立ち、それを與へられる可能性與へられたる質料となしつつ、それにおいて又それに應じて自己を實現し表現する處にのみ歴史は存在する。
過去がすでにさうであるが、まして將來は自己の將來としてのみ有意味である。將來は文化的生における形相及び自己性の領域に對應するものとして、現在を介して過去に働きかけそれを形作る。將來は自由の領域である。それは又活動における自己性の契機を表現するものとして觀想と特に親密なる間柄に立つ。活動する主體は自由の世界を求めつつ來るべき現實を將來に望み見る。これは觀想の働きによつて行はれる。かくの如く活動の一契機として將來に向ふ觀想は通常特に「構想」又は「想像」と呼ばれる。
過去に囘想が對應する如く將來には構想が對應する。過去は他者性の側に立つものと
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