果して相容れるであらうか。相容れるとすれば兩者の關係は何に存するであらうか。吾々は次の如く答へよう。活動が文化的動作の一般的性格である以上觀想も亦一種の活動である。ただそれは特殊の意味をもち特殊の方向へ志向する活動である。簡單にいへば、それの目指す所志す所は、自ら活動でありながら活動の性格を脱却し克服することによつて、文化的生の本來の意味を徹底させるに存する。これは活動を成立たしめる客體内容の二つの契機の間の緊張が緩和されつつつひに解除されることによつて行はれる。吾々は自己性と他者性との二つの契機が二樣の表現を見ることについて語つた。活動にとつて特に固有なのは、客體界が兩契機を代表する二つの形象乃至領域に分かれ、それらの間に働きかけるものと働きかけられるものとの關係が成立つことである。この緊張が緩和されるにつれて、形相はますます實現に近づき、自己はますます表現を進め、可能性はますます稀薄となり、隱れたるものはますます顯はとなるであらう。客體が客體として主體に對していくらかの隔りにおいて對立してゐる間は、各の内容を構成するものとしての兩契機の共存はなほ殘されるであらうが、異なつた内容と内
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