然的生における他者の二重性格について語つた(一)。他者は從つて將來は一方主體の現在を可能ならしめ存在の供給者の役目を務めつつ、他方現在を從つて存在を非存在へ從つて過去へ陷入れる。そのことの歸結として時は絶え間なき流動を示し存在はいつも未完成のままなる斷片的なる結局無意味なる状態に留まる。この事態に應じて文化的生においては自己性と他者性との兩契機は一方互に相俟ち相促がしつつ、しかも他方には相牽制し相排斥するのである。かくて文化的活動はつねに現實性への方向を取りつつしかもつねに目的地を絶えず移動する地平線のかなたに求めねばならぬ。際限を知らぬ連續と安定を見ぬ緊張とは文化の必然的に陷る運命である。
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(一) 三節參看。
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九
吾々はさきに客體に對する主體の態度は觀想に存すると言つた。しかるに今や文化の基本的動作は活動であることが明かにされた。これら二つの命題は相矛盾せぬであらうか。觀想と活動と―― 〔theo_ria〕 と praxis と――はギリシアの昔より哲學において相爭ふ二つの陣營を區別する旗印であつた(一)。兩者は
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