關として成立つ限り文化的生は「活動」(〔Aktivita:t〕)の性格を示す。文化的生の最も基本的本質的なる性格は活動である。
ここに吾々は文化がいかに自然的生の基礎の上に立つかを見、かくてすでにここに文化的時間性がいかにそれの根源である自然的時間性の影響のもとに立つであらうかを望み見ることが出來よう。文化的生に活動としての性格を與へるものは自己性と他者性との兩契機の共存と聯關とである。その場合他者性は、可能性として質料として活動を可能ならしめるが、他方その活動の本質である自己實現の成就を妨げる。客體は他者であるが故にそこに主體は自己を顯はになし得るが、しかも同時に他者である限り、主體と對立しそれといくらかの間隔を保ちつつ後者を顯はならぬ自己に留まらしめる。他者は主體をしてそれとの關係交渉に立つ中心たらしめ自己たらしめるが、又他方においてその自己を隱れたるものたらしめつつそれを無能力從つて非實在的ならしめる。しかるに客體はもと他者の象徴が自己の表現へと轉籍したものであり、それの有する他者性は結局發生地の殘り香に過ぎぬ。その他者性の根源は實在的他者性に求めらるべきである。吾々はさきに自
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