容との聯關を支配する緊張はますます解除され、かくて主體は活動者たるを止め客體の曇りなく淀みなき透明なる姿に見入りつつ靜かに休息するであらう。自己を表現し盡したる主體は客體の蔭に隱れもはやわが姿をあらはに對立的位置に置かず、ただ隱れたる中心としてのみ存立を續けるであらう。すなはちそれは生の舞臺より退場するであらう。活動においては働きかける自己が顯はになつてゐる故生は主觀性を帶びるに反し、觀想においては客觀性が特徴をなすであらう。しかしながら觀想本來の傾向は更にここにも安住を許さぬであらう。客體がいくばくかの隔りにおいて主體と對立してゐる間は、たとひ各の内容を構成する内在的契機としてにせよ他者性は從つて自己性もなほ殘存するとすれば、そのことは活動の性格がなほ克服されぬを意味するのではなからうか。一定の内容が客體としての存在を保つ以上は、それは決して單純ではあり得ない。それは兩契機を含むものとしてすでに一と他との聯關を示すものでなければならぬであらう。
 以上はまた次の如く言ひ換へることが出來よう。他者性には三種類がある(三)。第一は實在者が實在者に對する他者性、第二は客體が主體(實在者)に
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