出でて人倫的共同に入ることがないのがこの實在的他者の特徴である。文化にたづさはる限りそれは質料として物としての役目を務めるに過ぎぬ。人間的主體も文化的乃至人倫的主體として觀られぬ限り、即ち單にそれの自然的乃至客觀的實在性において觀られる限り、自然に屬する。吾々は自然と自然的直接性において接觸し、それの象徴として何等かの體驗内容を受取るが、この内容は反省の段階において客體に高められ更に實在的他者に歸屬せしめられ、かくして客觀的實在世界としての自然及びそれの認識は成立つ。その場合反省及び文化的存在へ昇りうるは主體のみであつて、他者は依然自然的實在性の段階に留まる。從つて自然は自由の無き強制乃至必然の支配する領域である。時間性と空間性とはそれの最も基本的なる特質をなす。かくの如き自然が時間性と共に壞滅に歸すべきは理の當然である。文化の世界が死の運命を免かれ得なかつたのも畢竟は自然的生がそれの土臺をなすからであり、自然は自然的生において主體に出會ふものである以上、人間以外の全き自然は、それの成員並びにそれら相互の關係の一切を携へて、壞滅の運命を文化と共にせねばならぬであらう。
さてかくの如く
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