。さてかくの如き神が眞に文化の擁護者、人間的主體の自己實現の原動力であるためには、單に自然的生の主體の意味において即ち自己主張の盲目的實力としてのみならず、又特に文化的主體の意味における、從つて觀念的内容において又それを通じて自己實現を行ふ主體でなければならぬ。無限的絶對的その他の尊稱によつて人間的主體とは區別されるであらうが、それの生内容・自己實現の内容をなすものは結局人間的文化そのものの内容に外ならず、ただ存在の仕方において優越性を許されるだけのものに外ならぬであらう。或は人間にそれの文化内容を與へる親切なる指導者と考へられようが、或は人間の文化の歴史において自己を表現し實現する絶對的主體と考へられようが、根本において本質においては、それは結局大型に引伸ばされたる人間の寫眞に過ぎぬであらう。時間性とそれの必然的歸結である死とを克服すべき實力はかかる主體には許され難いのである。かくしてその實力の源は主體性には求められず却つて内容に、時間性との交渉に入るに先だつてそれ自らの純粹の存在を保つ純粹客體に、イデアに、それの無時間性に、求められねばならぬであらう。神乃至絶對的精神即ち絶對的主體
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