不死性に聯關して論述した目的論的形而上學である(二)。これは第一とは逆に文化的主體そのものの自己主張・自己實現の活動より出發し、それが時間性の制限を克服して自己を貫徹する必然性を説くものである。その場合主體は單に個體としてではなく共同體として、しかして最も典型的なる形においては、人類として取上げられる。すなはち民族乃至特に人類の歴史は文化の實現の舞臺と看做される。尤も、共同體は個體に比べていかに力強くあるとはいへ、人間的主體が自らの力だけを恃んで自己主張自己實現を時間性の猛威に反抗して成就するといふことは餘りの誇大妄想とも感ぜられるであらう故、世界秩序・世界理性・攝理などの觀念的存在者が援助を與ふべく呼び入れられる。それらは主體性を離れてはイデアとして純粹形相として無時間的存在を許されるであらうが、單なる客體としては勿論何等の實力をも有せぬ故、それ自らの實在性を付與されねばならぬ。しかるに、ヘーゲルの名言の教へる如く、實體(Substanz)は主體(Subjekt)とならねばならぬ。人間的主體の後援者であるべき他者はかくして絶對的主體の位に高められる。それが哲學的形而上學にいふ神である
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