であらう。これは、世界が人間的主體とすでに時間的存在において共通の運命を分かつてゐることより、當然期待しうる事柄である。先づ死についていへば、時間性は文化の世界並びに自然の世界の心髓にまで蟲食んでゐる。壞滅と死とは兩者の行くへに待ち構へてゐる。尤も文化を死より救はうとする企てはしばしば哲學によつて試みられた。その最も有力なる又根本的なるものは無時間性の思想において見られる(一)。すでに詳しく論じた所をここに繰返すを止めて要點をかいつまんで言へば、この思想は、文化の内容より時間性と從つて主體性と聯關する要素を出來る限り取除いて殘つた所を純粹客體として遊離せしめ、かくの如きものの存在の仕方において永遠性を見出さうとするものである。これは文化的主體が一時我を忘れて夢幻の世界に遊んだ如きものであつて、主體そのものが儼然として存立せねばならず、しかして時間性可滅性がそれの本質をなす以上、純粹の空望に過ぎぬことは、すでに述べた通りである。文化的主體を離れては文化の内容は單なる分析的抽象作用の所産に過ぎず、それ自らの實在性など保ちうるものではないのである。第二は吾々がすでに無終極的存續の意味における
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