知覺を失つた一種の睡眠状態と解したが、かかる相違は根本問題の前には殆ど取上げるに足らぬ些事である。彼等はかくの如き相違以上には等しく一旦崩壞に歸したる身體の新生への復活を説くも、人格の中心が靈魂に置かれてゐる以上、これも同樣些事であるを免れぬ。或る學者(三)は存在と生とを從つて又非存在と死とを區別し、死は生の亡夫であつて存在の亡夫ではないと論じ、死を存在の仕方の變化とする見解に飽くまでも執着してゐるが、一見いかにも尤もらしく聞えるこの辯解も、存在を客體的存在と解し、主體的存在としての生をそれより區別し、むしろその類概念の下に包攝される種概念として取扱はうとする立場を暴露するだけであつて、詭辯でないまでも強辯であるを免れぬ。ここにはかくの如き無造作な形式論理的處理を許さぬ重要な問題が宿つてゐる。存在と生とは概念としては勿論二つであつて一つではないが、根源的生まで遡れば、實質においては全く一に歸する。又永遠が、無時間性におけるが如く、觀想の對象をなす靜かな存在ではなく、愛として生の共同としてのみ成立つことはすでに述べた通りである。吾々は死を生及び存在の亡失となす見解を飽くまでも堅持せねばな
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