ラて徒勞に歸せねばならぬ。主體の自己表現として客體は徹頭徹尾主體を代表する。
尤もこれは客體が表現の任務を成遂げそれにおいて主體の自己が現實性に到達した限りにおいてのみ起る事態である。しかもかくの如き事態は決して完全に事實とはなり得ぬのである。客體は主體の表現ではあるが同時にそれに對して他者の位置に立つ。他者である限り客體は主體に對して單に可能的自己であるに止まる。それは、それにおいて主體の自己が實現さるべきものとしての、換言すれば、その自己實現に對する質料としての意義を擔ふものである。しかしながら純粹の可能性に盡きるとしたならば、顯はなる自己は全く姿を消し從つて客體も存立を失ふであらう。それ故客體はあくまでも形相及び現實性の性格をあはせ保たねばならぬ。かくして客體の成立從つて文化的主體の成立のためには、一方において自己性と現實性と形相と、他方において他者性と可能性と質料と、の兩者は缺くべからざる本質的契機としていつも共に具はつて居らねばならぬ。一方のみの徹底は結局一切の壞滅を意味するであらう。今他者性を徹底させるならば、それは實在的他者性に逆轉し、文化は自然的生及びそれの自滅の墓に
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