照されて愛の閃きを示す限り、すでにこの世にはじまるといひうるであらう。しかしながら、この世の續く限り主體の態度はなほ自己主張であり、それの生の性格はなほ時間性を脱しない。現實的生の續く限り罪も時間性もなほ克服されずにある。かくの如き生はいかにして愛の閃きを示しうるであらうか。示されたと思はれるものは、むしろ自覺を惑はす鬼火の如きものではないであらうか。救ひは全く神の惠みによる事柄であつて、人間が自己省察によつて知り得る自己の状態や業績などを本としてかれこれ論議しうる事柄ではないのである。それ故、罪も時間性もなほ克服されぬこの世において救ひがいかなる姿を取るかについては、吾々は神の惠みの特殊の發動と啓示とに俟たねばならぬ。「罪の赦し」が即ちそれである。
 罪の赦しは罪惡の事實を前提した上の神聖なる愛の最も基本的なる動作といふべきである。罪無き世は永遠の世であり、そこでは勿論罪の赦しの事實も又必要もなく、有限的主體は神聖なる愛の喜びに浸りつつ、とこしへの現在に生きるであらう。又生の自然的文化的段階に強ひて立留まり共同への憧れを強ひて抑へようとする、從つて僞りの有限性に強ひて滿足しようとする
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