れる前のものでなければならぬ。かかる言ひ方はすでに時間的規定によるものであり譬喩的でしかあり得ぬはいふまでもない。古より宗教的及び哲學的想像は、例へばヘブライのアダムの説話の如く或はプラトンの「パイドロス」における魂ひの墜落の説話の如く、具體的形容とこの世ながらの潤色とをもつて理解に役立たうとしたが、超時間的墮罪といふが如きは吾々のあらゆる表象や概念を超越し、勿論理論的には全く近寄り難き事柄である。吾々はすべての時間的動作・全き時間的存在の根源において、それに先行する制約として、それの本質的性格を規定し付與するものとして、永遠と時とを繋ぐ何らかの動作を前提すれば足りる。これは個々の時間的動作の根源にあるものである故、神學的乃至哲學的思索はこれを「原罪」(peccatum originale)「根本惡」(〔das radikale Bo:se〕)などの名をもつて呼んだ。この原罪は動作の時間性を超越して過去の動作をも支配するものである以上、言ひ換へれば、過去の自己に對する責任といふ事實が明かに示す如く、現在を去つて無に歸することが原罪の支配よりの解放を意味せぬ以上、過去の克服としての永遠性
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