り現實性への推移としていつも缺乏より充實へと向ふ。それ故純粹の現實性純粹のエネルゲイアにおいては充實あるのみ、從つて運動は無い。さて、かくの如き動作はただ觀想においてのみ可能である(二)。觀想(〔theo_ria〕)の本質は、觀られるものと觀るものと、認識の客體と主體と、が同一形相において合一すること、主體よりいへば、それ自身客體の形相に成ることに存する。それ故その本質の純粹なる實現は、主體と客體とが全く同一であり、從つてあらゆる努力あらゆる運動を超越して、兩者の合一がいつもすでに成遂げられてゐる處にのみ見られる。このことは純粹なる完全なる自己認識、思惟の思惟、である神において事實となつてゐる。人間的主體はそれの思惟をもつて神の思惟に與かることによつて、又無上の歡喜と幸福とに與かる。云々。アリストテレスは永遠性の概念そのものの論究は試みなかつたが、神を永遠的と呼び、又特に永遠的生が神のものであるを説き、人間に關しては神の思惟に與かる限りの理性を特に不死的・永遠的と呼んでゐるを思えば、彼が神においては自己との生の完全なる共同を、人においては神との完全なる生の共同を、永遠性の本質と解したこ
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