においては、「存在する」は「働く」「生きる」と同義である。しかしてすべての生すべての動作は他者へのそれであり、單獨孤立を斷然拒否する。かかる存在は完成されたる共同においてはじめて維持貫徹される。共同の成立つ限りにおいて存在は壞滅を免れる。時間性の觀點より見られたる存在が現在であるとすれば、滅びぬ現在即ち永遠は愛の共同においてのみ成立つのである。かくの如き生は缺乏と壞滅とを知らぬ。完成性と全體性と、從つて又濁りなき淀みなき生の喜びはそれの特徴をなすであらう。
 永遠性の以上の如き本質がすでに或る程度までイデアリスムの哲學によつて洞見されたことは、吾々がエロースについて論じた所からも察し得られるであらう(一)。アリストテレスがプラトンの思想に加へた修正の最も主なるものは、存在を生乃至動作(energeia)と同一視したことである。存在を靜止せる自己同一性に置くことには滿足し得ずして動的性格をそれに付與しようとする傾向はプラトンの後期の思索にも見えるが、それが貫徹されて世界觀の中心に置かれるに至つたのはアリストテレスにおいてである。時間的存在においては生は運動として實現される。それは可能性よ
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