ていかなる存在も直接的に一義的に永遠者の象徴ではあり得ない。この世の言葉は決してさながらに神の言葉ではありえぬのである。しかもこの時間的の生世俗的の世において神の愛は事實とならねばならず、永遠は顯はとならねばならぬ。すなはち時間的世俗的の存在は先づ自ら無に歸して隱れたる神聖者永遠者を顯はにする器として新たなる有を得ねばならぬ。しかしながらあらゆる存在は現實的生の續く限り依然自己本來の意味自己の舊き姿を保存する。野の百合は飽くまでも百合であり空飛ぶ鳥は飽くまでも鳥である如く、この世の生は飽くまでも自己實現でありこの世の愛は飽くまでもエロースである。それ故神の愛の現實化はこの世の姿この生の性格をそのままに留保しながら、しかも同時に他方それに、徹底的に隱れたるもの超越的なるものを顯はにし内在化するといふ任務を負はせねばならぬ。これが宗教において「啓示」と呼ばれるものである。それ故啓示は多義的不連續的いはば曲線的屈折的なる象徴である。具體的にいへば、神聖なるもの永遠的なるものは或は物或は人或は出來事として、或は歴史において或は自然において、啓示される。又異なつた對象が同時に啓示となる場合には啓
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